第10回「国分寺寄席」

第10回「国分寺寄席」

1,第10回国分寺寄席開催に当たって

コロナ禍で2年問お休みを頂いた国分寺寄席も、国分寺稲門会 50周年記念事業として、第10回目を迎えることが出来ました。とはいえウィズ・コロナ、開催には慎重を期しました。専門委員会を立ち上げ、万全の感染対策・来場の方への安心・安全に腐心し、特に入場者数については種々意見もありましたが、最終的には、定員の半数を貫きました。その結果、いずみホール定員370人の半数=185人の満席となり、苦肉ですが、第1回以来連続満席の実績をクリアできました。


2,全原亭一門の大躍進、すごい!

国分寺寄席が毎回満席を継続できたのは、何と言っても金原亭一門のまとまりの良きと人気の高さです。昨今、国立演芸場で最もチケットの取れない公演は、毎年ニ月中席として開かれる「鹿芝居」だそうです。これには金原亭一門が総出演し、その上、落語界名うての芸達者な噺家が加わります。「鹿芝居」とは、「噺家(はなしか)の芝居」という意味ですが、「馬鹿馬鹿しい芝居」或いは「噺家しかできない芝居」という説もあります。江戸時代から続く噺家の余興で、昭和 30年代には古今亭志ん生や桂文楽・三遊亭円生という昭和を代表する名人違も受け継ぎ、一時下火になりましたが、今また、金原亭馬生師匠と一門をあげての活躍で「国立演芸場の顔」となっています。文化庁広報誌でも「爆笑と袞感・・・鹿芝居の魅力」と題し、「普段の高座からは窺えない落語家たちの魅力、芸達者ぶりが垣間見えるのも楽しみの一つ。・・・こうした舞台を経て、落語家たちも役者として立った経験を生かして、本来の落語の芸の向上に繋げるのです。」と紹介しています。

 

3,さて本番の出来栄えは?

開口一番」駒介 「無精床」小駒 「のめる」馬大郎 「豆や」馬久 「夏泥」馬玉「短命」馬治 「七段目」馬生

各自普段通りの口演でしたが、流石、馬生師匠が締めてくれました。歌舞伎の演目「仮名手本忠臣蔵」の七段目「祇園ーカ茶屋の場」を取り上げたもの、歌舞伎俳優そのままの、腹から出す声色で格調高く舞台を盛り上げ、笑いでストンと落す見事な芝居噺を演じて頂きました。
太神楽曲芸は翁家和助さん、客席にヒヤリ・ハットの緊張感を醸し出し、笑い一杯の落語会には欠かぜない色物です。
鹿芝居は「青の別れの場」ダイジェスト版。如何せん短い時間なので、本番(国立演芸場)の人気の高さには到底及びませんが、全原亭一門の会でしか見られない価値のある余興です。

今後共、国分寺市民と共に金原亭一門とともに !

(野部明敬)

 

 

第10回「国分寺寄席」写真集

第10回「国分寺寄席」写真集 (2022年9月7日)

第11代 金原亭馬生




2次会 写真集



 

「国分寺寄席」誕生のいきさつ

「国分寺寄席」 誕生のいきさつ

  平成25年 国分寺寄席実行委員長 眞宅康博

 「落語と言うものはぁ、チョイトォ持ち上げてストンと落とします。そのチョイト落とす処が面白いんでして」と志ん生が言ったのを末広亭で聞いたのが47年前。初めて落語と巡り合ったのが昭和18年国民学校一年生に上がる時分で、柳家金語楼の「噺家の兵隊」でした。その年に金語楼は落語家の鑑札を警視庁に返納しておりました。当時は鑑札!?
蓄音機で何回も聞いたので、今でもチョットした処は諳んじております。

 川口市大竹と言う所に植木屋の社長が居て、生来の酒好きが高じて自分の屋敷の一角に一棟建てて飲み屋を始めました。そこに友人に連れられて行ったのですが、メニューに“無い酒は無い”と謳っているから「永い間<亀の翁>を探しているのだが・・・・」「あるよ、飲みますか?」 それが“おおたけ苑”荒井英輔氏の出会いで、かれこれ14・5年前の事。
彼はただの呑兵衛ではなかった。生物理学士、しかも極上の粋人で「何か良い趣向はないかいな」と言うので、友人の山本武氏が「落語の席亭にしたら」と提案。知り合いの馬生師に渉りをつけ、月に一度、馬生師匠の弟子でまだ前座の駒丸(馬治)・駒介(馬吉)を交代で隔月に話をさせようと決め、師匠は時折演じてくれる事になりました。それからは毎月二人の上達振り拝聴。

 私が国分寺に越して暫くして、師匠と馬吉が並木町公民館に来演したりしました。また、国分寺稲門会「稲穂祭」の企画として「落語を入れては」と提案。馬生師匠は快諾、馬吉・駒ン奈(萩野アンナ:慶応文学部教授)を連れて三人で出演して盛り上げてもらって大盛会になりました。

 そのうち私は「二つ目に昇格した馬治・馬吉の落語会を国分寺で開催して地域の人々や老人に喜んでもらえれば、国分寺稲門会としての地域活動の一助になる」と考えました。その頃、ある老人会の会長から「落語会を催して欲しい」との話が舞い込みました。ただ難題が一つ。「老人には無料にして・・・?!」 無料はご勘弁被り度候! 無料はお断りして、構想していた名分に合致するのでその船に乗る事に決めました。
「第1回国分寺寄席」です。平成23年、会場手配・出演依頼(馬生師匠自ら出演)、チラシ(下の写真)や入場券の作成、370席を満席にする事。幸い稲門会と老人会の助力を得て当日は満員御礼。下の写真は当日出演者の色紙です。東日本大震災にも幾許かの寄付も出来て大成功でした。その後も「国分寺寄席」は毎年開催されて、お陰様で毎回「満員御礼」を続けています。

 現在、「国分寺寄席」は国分寺稲門会の活動スローガン「早稲田と共に、地域と共に」の事業として位置付けてられています。今後も、更に発展しながら継続される事を願っています。

(以上)


 

第9回「国分寺寄席」実行委員長のご報告

第九回『国分寺寄席』、今年も盛会でした
              令和元年 8月29日 実行委員長 眞宅康博
 まだ残暑厳しい中、13;30開場というのに12;00過ぎた頃には待ちかねたお客様がちらほらと並び始めた。
暑そうなので早めにロビーを開放した。
 受付、会場、誘導の各係も多少の支障はあったものの概ね順調に運んだと思う。
 今回は出演者も8人という事もあって5分早めに開演し、清水会長と共に
井沢国分寺市長の挨拶も極く手短にお願いして開演となった。

● 先ずは開口一番、前座の 駒介 が登場、『 穴子でから抜け 』を何とか卒なく演じた。
この演題は「逃げ話」といって、時間がない時とか、急に替わりに一席頼まれた折噺を短く演ったり或いは長く自在にできる話の一つである。
● 今年2月に二つ目に昇進の 馬太郎『 長短 』、気長の長さんと気の短い短七さんの二人だけの会話、長さんは何事にもゆっくり、短七さんは長さんのやることなすことがじれったくてしょうがない、二人の会話の使い分けが上手くいくと笑いがとれる。対象を際立たせる技術と工夫が肝要である。
小駒 は昨年11月に二つ目、演目は『 生徒の作文 』。このネタの後半は落語が先か漫才先かが分らぬが、 五代目古今亭志ん生 が演じた「女給の文」 柳亭痴楽 「ラブレター」
この様に内容さえ変えればいくらでもネタは作ることが出来るので、そういう意味では些か新鮮味に欠けていた。一層の工夫が欲しいと思うのは、まだ酷であろうか。
● 二つ目に昇進して4年目の 馬久 の演じた『 富士詣り 』。一般には「大山詣り」の方を聞いたことがある噺であろうが、この『富士詣り』は近頃寄席で演ずることは稀である。
この夏、馬久は二つ目の仲間数人と富士登山に挑戦。その様子をフェイスブックに乗せていたが、その時の話など交えて噺を面白く作ればよかったのに?!と思った。
● 真打ち昇進して4年余りの 馬治 ・ 馬玉 は、それぞれ『 壺算 』、『 青菜 』を演じた。
『壺算』は一種の詐欺噺で「算用合って銭足らず」という噺で古典噺の最たるもので何度聞いてもおかしくなる。臨場感のある話し方で、 馬治 もうでが上がったものだ。
片や 馬玉 の古典落語『 青菜 』も暑いころの噺として調子よくまとめていた。ただし植木屋の女房が暑い盛りにずっと押し入れにいて、ぐったりした状態のところを客に解らせて欲しかった。この噺は昔「弁慶」という演題で演ることがあった。
翁家和助は太神楽、二度目の出演でも曲芸の妙技と喋りで観客を酔わせていた。
● いよいよ一門の長、馬生師匠の一席は『 安兵衛狐 』。偏屈の源兵衛のところにおゆうさんがお礼に現れる、幽霊?ぐず安、またの名を貧乏安兵衛には狐の嫁がくる、おとぎ話落語をお色気たっぷりに聞かせてくれた。
● この後『茶番』『かっぽれの総踊り』『大喜利』で終演となって盛会裡に終えたが、16;30の予定を15分ばかり延長していた。
最後に野部副会長が閉会の挨拶も時間短縮のため急がれた感は否めなかった。

(以上)


 

国分寺稲門会主催 『第9回国分寺寄席』

国分寺稲門会主催 『第9回国分寺寄席』盛会に終了。

夏の国分寺稲門会の恒例イベント『第9回国分寺寄席』は
令和元年8月29日(木)13:30~16:30
いずみホール370席を満席に、盛会裡に終えました。

当会は『地域と共に早稲田と共に』をモットーに市民との交流・文化的貢献に努めており、徐々に認知され、国分寺市報を見ての応募も増えて、市民の期待度も高まりつつあります。
後援は国分寺市教育委員会、同社会福祉協議会、同老人クラブ連合会の3団体で、井澤市長も臨席され、益々地域との交流を感じています。
出演は十一代目金原亭馬生師匠一門の真打、二つ目、前座及び太神楽の翁家和助の総勢8名で、
落語会でホールを毎回満席にするのは『国分寺寄席』だけだそうです。
落語、曲芸、茶番、かっぽれ、最後に大喜利で盛上り、会場の皆さんのお手を拝借しての一本締で目出度く終演しました。
当日の演目は下記の通りです(出演順)。
・金原亭駒介 「穴子のからぬけ」
・金原亭馬太郎 「長短」
・金原亭小駒 「生徒の作文」
・金原亭馬久 
富士詣り」

・金原亭馬治 「壺算」
・金原亭馬玉 「青菜」
・翁家和助 太神楽曲芸
・第11代 金原亭馬生「安兵衛狐」

お客者は市民、近隣稲門会校友、三田会などでリピーターも多く、又、市の老人会からは100人以上の参加を頂きました。

                            (眞宅康博(記))

当日の写真集(クリックすると拡大します)

馬生 8面相

茶番・かっぽれ・大喜利

主催者、ご来賓


 

国分寺寄席、第1回・第2回の開催歴史

第一回 国分寺寄席

平成23 年8月22 日(月) (於)いずみホール
前座:駒松、二つ目:馬吉・馬治、
真打:11代目金原亭馬生、演し物「唐茄子屋政談」、
国分寺稲門会:眞宅康博氏が自力で開催。
売上金から国分寺市社会福祉協議会へ8万円を寄贈、

第二回 国分寺寄席

平成24年8月30日(木) (於)いずみホール
出演者は第一回目と同じ、
この回から「国分寺稲門会主催」となる。
売上金から国分寺市社会福祉協議会へ3万円を寄贈、


 

同好会合同茨城旅行(4月16~17日)報告

同好会合同「茨城旅行」盛会に終了(4月17~18日)

陽春の光が眩しい早朝、参加者19名と大量の酒・つまみを積み込んだ貸切りバスは定刻通り国分寺駅南口を出発しました。
今回は「歴史と名勝と花を巡る旅」と称して、茨城県(常陸国)の水戸徳川家の文化と歴史に触れるとともに、山里と海を要した景勝地と美食を堪能する旅です。
所沢IC.から圏央道・常盤道を快調に飛ばし那珂ICを出る頃には、今宵の宴を待てずに、酒の香りと赤ら顔が溢れる宴会場となっておりました。
最初の訪問地「西山荘」は、水戸黄門で知られる水戸藩二代目藩主・徳川光圀公が藩主を退いた晩年に『大日本史』の編さんの監修した隠居所であり、遅咲きの桜と桃が咲き誇り厳かな雰囲気が漂う庭園内を散策し歴史の重みに感じ入りました。
里山の桜と山桜が見事な桜街道を北上して太子町にある築後200年の近郷民家を移築した蕎麦処名店「昔屋」で、しゃも地鶏そばと美酒を満喫し、満腹になったお腹をダブつかせながら「袋田の滝」に向かいました。
「袋田の滝」は日本三大名瀑の一つであり、ガイドの案内とともに高さ120m、幅73mの滝が大岩壁を落下する迫力に目を見張りました。
西10kmにある旧上岡小学校では、昭和初期に建造されNHK朝ドラ「花とアン」が撮影された木造校舎を背景に、天にも届く枝ぶりの満開の桜と昭和の残り香がある教室内を見学し、一同メルヘン気分に浸りました。
17時に日立市にある国民宿舎人気度全国一番の国民宿舎「鵜の岬」に到着。これから始まる大宴会に備えて、太平洋が一望できる展望温泉で昼酒の酔を癒した後、湯上りのサッパリ顔のゆかた姿でお座敷に一同が集合。清水会長の開宴挨拶、参加者最長老の千原さん(S27年政経卒)の乾杯で宴会が始まりました。女性5名を交えた宴席はにぎにぎしく華やかで酒量も増える一方です。眞宅さんの小話、野部さんの落語を楽しみ、染谷・清水・千原・吉田さんのカラオケの美声に聞きほれました。圧巻は寸劇「黄門様漫遊記」で。雪駄足袋姿でバッチリ衣装を決めた黄門様(小林さん)、セルロイドのカツラと刀をつけた助さん(松村さん)、格さん(下山さん)の珍妙なやりとりと黄門ドラマ定番の「下がれい!下がれい!このご印籠の紋様が目に入らぬか頭が高い!」の決めセリフに爆笑の渦が広がり、野部さんの中締め挨拶でお開きとなりました。
その後、カラオケ組はボックスに繰り出し持参の酒でさらに酔いしれ、残り組みは、部屋酒とあれこれ談義を楽しみました。早朝には、朝寝坊できないおなじみの面々が、大浴場に昨夜の騒ぎを癒すように目を閉じて浸っておりました。

翌朝、歴史の景勝地・水戸偕楽園に向けて出発しました。当園は金沢兼六園、岡山後楽園とならぶ「日本三名園」のひとつで、天保13年(1842年)に水戸藩九代藩主徳川斉昭によって造園され,領内の民と偕(とも)に楽しむ場にしたいと願い「偕楽園」と名付けた庭園です。梅の残り香が感じられる園内を巡り、好文亭3階から千波湖を望む絶景を満喫しました。
日立海浜公園での昼食後、満開のチューリップ畑と薄紫が見渡す限り広がるネモフィラの岡を散策、童心気分でトロッコ列車で園内を周回しました。
那珂湊おさかなセンターで、新鮮・格安の魚貝類のお土産を購入し、大洗ICから常磐道・外環道を経て18時半過ぎに無事、国分寺駅前に到着しました。

(旅行幹事:清水、野部、山田、日置、中山(記)

参加者:青木夫人、浅野、大橋、小田切夫人、小林、清水、下山、眞宅、陶久、染谷(三田会)、千原、中村、中山、中山夫人、野部、日置、増本、松村、吉田夫人 計19名(敬称略)

写真集(写真をクリックすると拡大します)


 

納涼会「晩夏の夜の集い」報告

国分寺稲門会 納涼会「晩夏の夜の集い」報告

  国分寺稲門会:中山 斌雄(記)

開催日時:2018年9月5日(水) 17:30~20:30
開催場所:国分寺市本町 Farm to table De sallita (デサリータ)           
参加者:青木幸子,小口直毅,北川道夫,木俵康之,小林昭,島崎幸男,清水元,下村良介,下山登,眞宅康博,染谷嘉男(三田会),舘外博,谷口和典,千原一延,中村俊雄,中山斌雄,中山利子,中島巌,野部明敬,林紀久子,原俊男,日置憲二郎,増本千明, 松永常尚, 宮坂尚利,柳田雅之,山岸信雄, 山田孝,吉田悦子,吉松峰夫(敬称略、総員30名)、
担当幹事:中村・中山(グルメ同好会),舘(協力)

風雨最強の台風21号が早朝に過ぎ去った好天の夕暮れに、第3回納涼会は、昨年までの屋上ビアガーデンでの開催から趣向を変え、「晩夏の夜の集い:Veneziaの夕暮れに思いを馳せ、本格イタリアンを嗜みながら夏の終わりの夢を語る!」をテーマにイタリア料理店で開催されました。
5時半過ぎには、参加者がテーブルに着き、中山幹事の覚えたてのイタリア語「Bona sera a tutti:皆さん今晩は!」の掛声と清水会長の挨拶、最年長の谷口さんの乾杯で生ビールのグラスを高々と掲げて宴がスタートしました。
前菜のバーニャカウダ(生野菜のスティックサラダ)から始まり、盛り付けが美しい(今はやりのインスタ映え)イタリアンが次々とテーブルに運ばれてきました。日頃、のれん居酒屋の焼き鳥・冷やっこ・おでんなどに慣れ親しんだ老齢者には、名前・見た目・味もすべて新鮮で、わけの解らないうちに口に運びましたが、どれも美味で、瞬く間にお皿が空になりました。
特別に用意された銘酒「獺祭」、ワイン、カクテルなどの飲み放題に酔も進んで、自席から離れて交流がはじまり、各テーブルでワイワイガヤガヤと笑顔が広がりました。
宴半ばには、舘さん発案の数字ゲームを楽しみ、新参加の木俵(42文)・下山(46商)・中島(45理)・柳田(43政経)さんの自己紹介もあり、時の過ぎるのも忘れるほど盛り上がって予定の2時間をはるかにオーバーし、8時半過ぎに、野部さんの一本締めでお開きとなりました。


 

第八回『国分寺寄席』 実行委員長後記

第八回『国分寺寄席』 実行委員長後記

打ち続く台風の影響をうけて朝から蒸し暑さを感じながら会場に向った。
 早々と大橋幹事長を始め、三々五々役員が集合し11時には勢揃い。最後の各自の役目分担を確認、準備完了。12時に到るや、早や一番客が到来して並び始める。会場の外は実に暑そうであったので、客誘導係の判断で急遽12時半に開場。お客様をロビーに誘導して早めに受付開始とした。
 定刻の前、影アナ担当の遁所真美会員が場内注意事項を説明。定刻になるや大橋幹事長の流暢な司会、清水元国分寺稲門会会長が挨拶、次いで北原輝久(会員)国分寺市社会福祉協議会会長が挨拶。前座の前座で実行委員長:眞宅康博の川柳漫談。
 いよいよお待ちかねの落語の世界が始まる。

 前座小駒が『子ほめ』を一席。小駒は国分寺寄席は昨年に続いてのお目見え。11月には二つ目に昇進しようかというところ。
 二番手は二つ目3年を迎えた馬久が『道具屋』。去年に比して可成り腕の上がり具合に感心。
 さて真打の登場、馬治師匠『代書屋』馬玉師匠の『義太夫語り』。この二人の為にと始った「国分寺寄席」、恩返しとばかりに渾身の口演で大いに笑わせていた、18年前に入門して以来精進の甲斐あって二人揃っていい噺家になったものだ。
「お仲入り」
 太神楽の翁家小花さんの登場。華奢な少女かと思うよな少々危なげな風情。だが演技に入ると言葉も流暢に技を披露、難しい所を見事にこなすと会場は「おぉー」と湧いていた。
 最後の取りで馬生師匠のお出ましとなり『木挽町!』『たっぷり‼!』の大向こうからの掛け声に師匠にこやかに嬉しそうな表情。演題は『抜けすずめ』本当にたっぷりと聞かせる名人芸、会場全体が聞き入っている良い雰囲気であった。
 次いで茶番劇、かっぽれ、恒例の大喜利で客席が笑いの渦。
 閉会にあたって野部明敬副会長による「健康長寿小噺」が受けていた。最後にお客のお手を拝借、三本締めで閉幕となった。
8回連続の満員御礼! 21名の役員一致団結の成果に感謝!!

   眞宅康博(記)

当日の写真集 (撮影:松浦英明(国分寺稲門会)) 写真をクリックすると拡大します。


 

第8回国分寺寄席、打ち上げ会

第8回国分寺寄席、打ち上げ会

第8回国分寺寄席が閉幕した後、国分寺駅ビル9階に移動して打ち上げ会。