(続)紅茶の話あれこれ 「一杯の美味しい紅茶」その1

50年来の友人、紅茶人で業界第一人者である荒木安正氏の著作から興味あるエッセンスを抜粋しました。紅茶への理解を深めていただければ幸甚です。

(記)日本紅茶協会 元専務理事 清水元(国分寺稲門会)

一杯の美味しい紅茶(その1)

思えば昔も今も世界中で「一杯の美味しい紅茶」を求めて様々な学習・調査・実験・研究が続けられている。しかし、この前提としては「紅茶に魅力が備わっている事」であろう。
「もしもあなたが寒い時、ティはあなたを暖めてくれるでしょう。
 もしもあなたが暑い時、ティはあなたを冷やしてくれるでしょう。
 もしもあなたの気分が落ち込んでいる時、ティはあなたを元気づけてくれるでしょう。
 もしもあなたの気分が高ぶっている時、ティはあなたを鎮めてくれるでしょう。」
これは19世紀のイギリスを代表する政治家のW.E.グラッドストーン(1809~98)の名言で、大英帝国最盛期における「紅茶の魅力」が端的に表現されている。

1、「茶の世界」今昔
チャの故郷は中国・雲南省の西双版納(シーサンバンナ)辺りを中心とする山岳地帯で、チャ樹の発見とその利用の始まりは古く、伝説では今から5千年も昔のことであるという。“現代”はアジア・アフリカを軸におよそ40ヶ国で年間総計600万トン(2019年)の茶が生産されている。特徴としては総生産量の約70%が「紅茶」(強醗酵茶)で、インド・ケニア・スリランカ・中国・インドネシアが生産国。残り30%が「緑茶」(不醗酵茶)と「烏龍茶」(半醗酵茶)で、中国・日本・ヴェトナム・インドネシアが主産国である。

 他方で、世界の190か国以上で「多種多様な茶」が市販され消費されている。年間の国内総消費量では、人口超大国の中国(緑茶)とインド(紅茶)が双璧ではある。しかし、このいずれも年間の一人当たりの消費量は少ない。年間一人当たりの消費量が2キロ超の「お茶好きの国」は、アイルランド・イギリス・トルコ・クエート・アフガニスタンなど。ただし、人口増や発展途上の経済見通しなどからして、近未来的にはインド・中国・ロシア・旧ソ連・中近東・アフリカのイスラム諸国での消費の急増が特に注目されている。

              紅茶をどうぞ 

2、「ChaとTea」の語源について
中国の茶祖・陸羽によって「茶経」が発刊された唐代(西暦7~8世紀)以降に、広東方言で「Cha」と呼称されてきた緑茶(黒茶・餅茶・団茶などをウマやラクダに乗せて)と喫茶の文化が「陸路」で近隣の諸国へ伝わっていった。他方、「海路」帆船によって緑茶や烏龍茶(福建省アモイの方言でTay=Tea)と喫茶の文化が遠方の国々へと伝わっていった。
このように陸路の発信基地「広東」からと、海路の発信基地「アモイ」(廈門)からと別々の方言が伝わったのだが、もともとCha(チャ)とTea(ティ)の語源は、貴州省あたりの少数民族・苗(ミャオ)族が使用していたツア・タに由来するとされる(周達生説)。

3、「Cha」の文化圏とは?
前者の中国産の緑茶は、朝鮮半島を経て日本にも伝来し、最初は僧侶たちの眠気覚まし(薬用)に利用され、やがて戦国時代の武将や豪商たちの嗜好品として珍重され「茶道」(点茶文化)にまで発展した。後に煎茶と急須を使った滝茶文化が開発されるや、次第に庶民階級にまで伝播していった。
              

他方で中国の茶は、北方のチベット・モンゴルに紹介され、さらに西方へはベトナム・ブータン・ネパール・ベンガル(バングラ)・北インド・パキスタン・アフガニスタン、さらにイラン・イラク・トルコ・エジプト、そして北アフリカのチュニジア・アルジェリア・モロッコなどに伝播していった。(ただし、タイ・ミャンマー(ビルマ)など東南アジア北部の山岳地帯に住む少数民族地帯では「茶を飲む」よりも「茶葉を発酵させて食べる文化」が古くから定着していた)。

4、「Tea」の文化圏とは?
後者の緑茶+烏龍茶の喫茶文化は、中国・明代(1368~1644)以降は、団茶に代わって「散茶(パラチャ)」が新規の取引形態の主役となり、17世紀初頭にはポルトガル以外で初めてオランダVOC(合同東印度会社)の帆船によって自国に運ばれ、同国の貴族豪商階級の間に大いに流行した。商才に長けたオランダ商人達は、中国産の茶をフランス・ドイツ・イギリス、そして現在のアメリカ東部植民地にも売り込んでいった。

こうした中で、緑茶と比べて色味香りがより強い半醗酵のボヒー(武夷茶)や、強醗酵のカングー茶(工夫茶)にのめり込んでいったのがイギリスの富裕階級であった。彼らは東アジアの螺鈿(ラデン)漆器の家具や調度品、当時は銀と同等の価値が認められていた「砂糖」、銀や陶磁の茶器、インド産のキャラコなどとのコラボで「茶の間」を創案して「宮廷貴族文化」を誕生させた。そして、茶を朝食時のエール(ビール)に代わる飲料として、あるいは正餐後のお茶会での「超贅沢なもてなしの主柱」として位置づけた。

イギリスEIC(東印度会社)はオランダVOCよりも遅れて東西の交易に参入したが、中国茶の輸入・販売から高利益が得られる事を確信する一方で、茶の供給元が中国のみという現実に不安を持ち、植民地のインド、さらにセイロン(スリランカ)で強醗酵茶(紅茶)の開発輸入を計画し、産業革命以後の機械文明と近代科学の知識を導入して生産性の高い品質の安定した紅茶産業を興し、七つの海を支配しながら世界各国に売り込んでいった。こうしてイギリス人が紅茶を世界商品の一つに成長させた。

5、 人間社会における「絆」
さて、ヒトは自分一人では生きていけない。最近流行の引きこもり専門の「巣ごもリッチさん」とは別に、独身・個食を愛する例も少なくないようだが、人間社会においては本来“共食”が基礎にあり、共に飲む茶が媒体となり喜びや悲しみを分かち合い、話し合い、励まし合い、援助し合ってこそ“絆”は強くなり、連帯感も増し、将来への希望や期待・夢につながるものである。例えば2011年の「東日本大震災」、さらに「福島原発大事故」による天災・人災を通して「頑張ろうニッポン、最後まであきらめるな」の言葉で、どれ程多くの命や生活が助けられ強くなってきたことか。

              

6、 ChaとTeaの魅力は?
世界有数の超高齢化成熟社会となったわが国では“高度経済成長の時代”はとっくに終わり、明日への安心や安全保障、そして未来への希望などが遠ざかりつつ感じられている。それは過去において”成果(利益)第一主義の追求“に終始して、PCや携帯端末に頼り切った”ディジタル文明社会“に起こりつつある負の一面であり、昨今とかくの問題を抱えた人情不在・個人主義のIT社会にあっては、何かにつけてスピード重視、従って限りないストレス社会に生きている証左なのであろう。

このような時、一昔前までは「タバコやアルコールなどの刺激物・麻痺させてくれる嗜好品への逃避」が許されてきた。しかし今やこれらのものは「脱法ハーブ」も含めてすべからく制約され、結果として新しく「自然・安全・健康至上主義」が全世界の潮流となってきた。つまり「刺激よりもくつろぎ」(癒し)を、それに「楽しさ」(人間性の回復)が加われば申し分なしと。そんな時、自信満々で現れ出たものが「こころとからだに優しく効く社交的で魅力あふれる飲料=ChaとTeaとその文化」なのである。

(つづく)