(続)紅茶の話あれこれ 「一杯の美味しい紅茶」その2

50年来の友人、紅茶人で業界第一人者である荒木安正氏の著作から興味あるエッセンスを抜粋しました。 紅茶への理解を深めていただければ幸甚です。

    (記)日本紅茶協会 元専務理事 清水元(国分寺稲門会)

一杯の美味しい紅茶(その2)

1、 ミルクティ(Tea with milk)の始まり
15~17世紀初めにかけての大航海時代に、東洋と西洋の間でヒトやモノの交流が活発化し、17世紀の中頃には東洋の喫茶の習慣についての報告が、主としてポルトガルなどヨーロッパ人宣教師によって盛んに行われるようになった。”交易品としての茶“が1610年頃までにはオランダに輸入され、新規な飲み物あるいは薬用(覚醒・消化促進・痛風や尿砂予防など)として重宝されるようになっていった。1638年頃には茶がオランダによってドイツやフランスに売り込まれ、当時、パリ駐在のドイツ大使の許には「ペルシャ(イラン)やインドのポンペイ(ムンバイ)で煮出した茶液に砂糖や香料を入れて”チャイ“が常用されている」との情報が来た。
この頃、オランダ人ヨハン・ニューホフが書いた旅行記の中の「中国・日本の喫茶」は注目をひいた。彼はオランダ東インド会社が中国に派遣した使節団のコック長を勤め、1656年3月に広州を発ち7月に北京に着き、翌年末には広州を経てジャワ島のパタビアに戻った。彼は日本における「抹茶」の風と、ふたのついた今日風に言うと大型のマグカップの中に茶葉を入れて熱湯を注いだ後でふたを少しずらして隙間から茶液をすする中国の「淹茶(えんちゃ)」の風を紹介した。さらに別の項では「煮茶」の風を紹介。「茶の葉を一握りの半分量使って適量の水を加え、火にかけてから水が三分の一蒸発するまで煮出してから、暖めたミルクを四分の一加えて、塩を少し入れて熱いのを我慢しながらこれをすするのである」と。
オランダ式のミルクティーは1680年頃迄には普及し、フランスの上流階級にも紹介された。フランスではマダム・ド・セヴィーヌがある手紙の中で「友人(詩人の妻)であるマダム・ド・サブリエールが、彼女のミルクが冷たいのでこれを暖めるために熱い茶の抽出液を入れた」と書いたものが誤報された、とも言う。
UCCコーヒー博物館の資料によれば「コーヒーに初めてミルクを入れた人物はJ.ニューホフである。場所は意外にも中国で、彼は「ミルクティー」を所望したのだが無かったので、コーヒーにミルクを入れその代用にした」。ちなみに最初にコーヒーに砂糖を入れたのは1639年頃、エジプトのカイロ。コーヒーの苦みがダメだった人物がはじめたのだと。

    

2. ブレックファースト・ティー
「世界の各地で厳冬・大雪。グレート・ブリテン島もすっぽり雪化粧。零下18度の日もあり除雪難航・停電も」の報道。”早朝のティー・イン・ベッドもままならず“である。ところで百年以上前から世界の紅茶市場で使われている商品名に「ブレックファースト・ティー」がある。多くは「イングリッシュ」「アイリッシュ」「セイロン」などを冠したもので意味的には「朝食向けの濃い紅茶」である。
かってある識者曰く「最初のブレックファースト・ティーは中国江南茶区・安徴省祁門県で生産された祁門(キーマン)紅茶で、早朝からの一杯に理想的な目覚まし効果を持ち、ミルクを注げばその芳香はより一層引き立ち、その香りがあたかもパン焼きオーヴンから出て来たばかりの熱々のトースト(酸味と若干スモーキーな香味)を連想させるところから来ている」と。
W.H.ユーカーズ氏は「All about Tea」の中で「ブレックファースト・ティーの頭にイングリッシュを付けたのはアメリカ人で、かってアメリカがイギリスの植民地であった頃にイギリス人達が朝食に飲んでいた茶の事を、アメリカ人たちが皮肉を込めて自分たちの茶と区別するために敢えてそう呼んだものである」とした。
早朝ベッドの中で飲む「一杯の紅茶」(ベッドティー/ティー・イン・ベッド)や早朝時に「たっぷりと飲むブレックファースト・ティー」こそ正にスグレモノで「今日も生かされている」という実感が持てる。また茶の主要成分の一つである「カフェイン」の効果で、ヒトのカラダ全体を内部から暖めて眠気を覚まし気分を高揚させてくれる。ウツの気分転換や予防にも役立ち、ヒトの脳内で神経伝達物質として作用するドーパミンを放出し“自殺願望率”を低くし、“パーキンソン病”を予防する効果もあるとされる。

ブレックファースト・ティーのブレンドの正体は、当初の中国産「工夫紅茶」(キーマンむ含む)に代わり19世紀後半からは北東インドの「アッサム茶」、それから一部「セイロン茶」主体のブレンドが多かった。さらに20世紀の末頃にかけては、主役が東アフリカの「ケニヤ茶」「マラウイ茶」等となるに従い、それらと「インド・セイロン・その他の茶」をブレンドした商品が主流となった。

3、 イングリッシュ・ブレックファースト・ティー
英米の紅茶業界で使われている商品名に「イングリッシュ・ブレックファーストティー」がある。直訳して「イギリス人たちの朝食向きのブレンド紅茶」。名付け親は、スコットランドのエディンバラ城の近くで茶の専門店を経営していたMr.ドライスデールが、彼の売り出した朝食用ブレンドに「ブレックファースト・ティー」という商品名を付けた物と言うがいささか疑わしい。ただ、スコットランド人にとっては冠語のイングリッシュもアイリッシュも共に何の意味も持たない為に「ブレックファースト・ティー」とした説がある。
この商品の発想の起源は、18世紀後半に出現した中国:華北の工夫茶(Congou)のうち、1875年以降に江南茶区・安徴省祁門県に誕生した「祁門紅茶」(Keemun Black Tea)がイギリス人の感覚によれば理想的な覚醒(目覚まし)効果があったからという。すなわち、ミルクを注げばその芳香はより一層引き立ち、その香りはあたかも「パン焼きオーヴァンから出て来たばかりの熱々のトーストを連想させる」「酸味のある、そして煙を含んだようなスモーキーな香味がある」と説明される。
Mr.W.H.ユーカーズは「All about Tea」の中で、このブレックファーストの頭に「イングリッシュ」を付けたのはアメリカ人で、アメリカがイギリスの植民地であった頃に、イギリス人達が朝食に飲んでいた中国紅茶の事を。かってアメリカ人達が自分達の茶と区別するために呼んだのである、という。近年このブレンド内容は、かっての中国工夫紅茶からアッサム・セイロン・ジャバ主体のブレンド茶に変わり、更にケニア・インド・セイロン・さらにケニア主体で多様なブレンド茶が主流になってきている。
「ブレックファースト・ティー」の頭に冠する用語には「イングリッシュ、アイリッシュ、スコティッシュ、セイロンなどがある。今日のイギリス茶市場では、かっての「中国産紅茶に多くみられた煙を含んだような(スモーキーな)ニュアンス」の物は忘れられつつあり、水色が明るく濃く(ミルクにも馴染んで)新鮮で適度な刺激性とコク味がしっかりとあり、醗酵茶としての香味(フレーバー)がしっかりしている物が求められている

    

4、 ゴールデン・ドロップ
オーソドックス製法による貴重なスペシャリティ・ティーを用意してのお茶会で、自慢のティーポット(または急須)を使って“気合を入れて客前でだした紅茶”(A nice pot of tea)が出来上がった時、誰しもが自然と笑みがそして誇らしげな気分が込み上げてくるものです。ヤッター!
そこでパースプーン(又はティースプーン)を使ってポットの底に仲良く重なり合った沈んだ格好の茶葉を起こすようにかるーく一かきして、抽出された茶液の香味や濃さを平均化します。
それから(a)湯通ししておいた複数のティーカップに茶漉し(ネット)を使って手早く注ぎ分け、主客から順にサービスをします。この際「最後の一滴まで注ぎきる事」が重視され、この最後の一滴こそ「ゴールデン・ドロップ」などと表現されて、その日の主客にサービスして敬意を表します。
(b)今一つは、湯通しした別のティーポットに茶漉し(ネット)を使って茶液をデキャント(移し替え)します。この際はゴールデン・ドロップ共々に注ぎ分けられて、客人たちに公平に配られるという結果になります。
本題は「ティーポットの底に残った少量の濃縮紅茶エキス」(カテキン類・カフェイン・テニアンなどの有効成分が多い物、専門家はクリームと表現)こそが貴重なものとされます。そこで“The last drop”(最後の一滴)、”The best drop”(最良の一滴)、ついには”The Golden drop”(とても素敵な一滴)などの表現が生まれました。
日本と異なり「紅茶は基本的に二煎茶は利用しない」ものですが、二煎茶を利用する局面も少なからず有り得ます。ただ湯漬け状態で茶葉が急須の中に残っている場合などは、二煎茶の湯を注ぐまでの間に茶液や茶葉が化学変化(酸化)して茶液の水色が劣悪になったり、渋味が特に増加したりして視覚的にも味覚的にもまずくなってしまいます。
イギリスでは17世紀後半に「中国茶と喫茶の文化」が紹介され、煮出し式とは別に淹茶(エンチャ、煎茶)式の「紅茶道」として普及していきました。その上に「紅茶とクリーム(ミルク)」をたっぷり加えて楽しむ事が主流となりました。そしてティーは「客人の目の前でいれてサービスすること」がエチケットとされ、形式や儀式的なニュアンスが追加されました。そして“To the last drop”という表現と共にティーカップに茶液を注ぎ分ける際の注意事項として世代を超えて伝承されてきました。

(つづく)