(続)紅茶の話あれこれ 「一杯の美味しい紅茶」その4

50年来の友人、紅茶人で業界第一人者である荒木安正氏の著作から興味あるエッセンスを抜粋しました。 紅茶への理解を深めていただければ幸甚です。

         (記)日本紅茶協会 元専務理事 清水元(国分寺稲門会)

一杯の美味しい紅茶(その4)

1、中国原産「花香茶」の歴史
 中国では古くから「植物のある部分」を乾燥させて湯のなかでそれらのもつエキス分を抽出させたものすべてを“茶“としてきた。つまり“茶”と呼ぶ物の中に“茶葉’が存在するかどうかは問題にしていない。ヨーロッパでの“薬草類’(ハープ)も茶葉と同じ“テイ”とがテー”の仲間としているのに似ている。
さて、中国唐代の貴人たちの喫茶法は固形茶を砕いて粉末にして湯の中にいれ、ネギ、ショウガ、ナッメ、ハッカ、ミカンの皮、ダイダイの皮、サンショウの皮などを一緒に煮て抹茶と混ぜて飲んでいた。この習慣が仏教と共に我が国にも紹介された。しかし陸羽が茶経の中で[茶に他の香味を混ぜる飲み方はよろしくない]としたために、中国宋代にはピュアな茶(抹茶)が流行した。
 一方、茶葉に花などの香りをつけたものを「花香茶」といい、他に「花薫製茶」がある。
中国最初の花香茶は「菊花茶」であった(陳舜臣『茶事遍路』)。中国明代には花香茶の品種が増えて「蓮花」(ハス)を中心に「桂花」(キンモクセイ)、「パラ」「ハマナス」「クチナシ」「梅」などの花の香りがよろこぱれた。そしてついに「茉莉花」(マツリカ。アラビア原産の植物。モクセイ科ソケイ属200種類の総称名で、ペルシャ語の「ジャスミン」)が登場した。時代は「アヘン戦争」の後(1851~61)というからさほどに古い話ではない。元・北京大学教授で料理研究家であった陳東達「茶の口福」には「中国人の中でも北京市民が他と比べようもない程にこの茶を「香片児」(シャンペニアル)と呼んで年中愛飲する。脂っこい上にニラ臭のある中国料理の後の茉莉花茶は「口臭を消し、口臭をつける」から重要。また神経を刺激し胃腸機能に活を入れるから消化を促進する。「ワキガの強い欧米人」は香水の他にもこの茶をけっこう好む」と。
 「茉莉花茶」(ジャスミンティー)の始まりは「福州の海岸通りにある長楽県で北京から来た正大商行が「カギ煙草」に茉莉花の香りを移して以来、大評判になった」事にヒントを得て、緑茶に茉莉花(ジャスミン)の香りを着香させた商品が生まれたと伝えられている。当初は福州近辺に茉莉花が無かったために、人々は広東に工場を造り、松羅山(ショウラサン)周辺の、いわゆる安微省産の茶を運んで薫製(クンセイ=着香)した。やがて福州にも茉莉花が栽培されるようになって、1890年前後には彼等も福州近辺に戻って来た為に、福州は「花茶の中心」となった。茶はこれ以外に香りの高い「玉欄花」「ダイダイ花」「ユズ花」「桂花」等を用いる。

2、茶碗と受け皿の喫茶の作法について
東洋のチャと喫茶の文化はポルトガル人を別として、17世紀以降オランダ商人によってフランス・ドイツ・イギリスなどの王侯貴族・富裕階級に伝えられた。しかし、ヨーロッパ諸国では歴史・伝統を誇る中国や日本と異なり、当初から「茶を飲む」等とは全く啓蒙・指導されておらず、先導役のオランダの場合でも、たぶんアラブのコーヒー文化の影響を受けて、金属製のヤカン(湯沸かし)などの中に茶葉を投入して煮出してから茶液を自前の茶碗に注いで供した。客人は「茶碗の中の茶液を受け皿に注ぎながら。幾度か繰り返して飲む」というのが基本的な作法として普及していった。

   
言い換えれば「まずは受け皿にいったん注がれた茶液の匂い(香り)を鼻で嗅いでからズズーッと騒々しい音を立てて茶を啜る事。それから(女)主人に謝礼する事」であったという。
 この際の「受け皿」は今日の皿のように薄く平らなものではなく、当時は日曜雑器の中から選ばれた「ディッシュ」と呼ばれた「茶器の一種・深皿」であった。この移し換えの理由としては
① 「ヨーロッパの言い伝えでは、熱すぎるものは体に良くない」とか、
② 「貴重で薄手の茶碗が熱くなりすぎて安心して持てないから」とか、
③ 「ネコ舌の人達が多いために冷ましてから飲む生活の知恵から」とか
④ 「わざと勿体ぶって複雑な日本の茶の湯の作法をまねたのではないか」との説もある。更に
⑤ コーヒー豆や茶葉を煮だした後に、コーヒー豆の小片(カス)や茶殻などを流すための「茶漉し」(ストレーナー)が未だ無かった為に、それらの異物が直接口に入らないように、いったん受け皿に空けて「上澄みだけを喫した」とも考えられよう。

18世紀のヨーロッパで、アラブ文化の「コーヒーカップ」にはハンドル(取っ手)が付けられていた。しかし中国・日本文化を導入した喫茶の為の「小茶碗」にはハンドル(取っ手)が無く、英語では「ティーボウル」と呼ばれた。しかし「茶葉」の価格も次第に安くなり、喫茶の回数や飲用量が増えるに従って、茶碗のサイズも大型化し、その中でスプーンを使って砂糖の破片を溶かす必要性も高まり、茶碗を受け皿の上で安定させるためにも片手の指でつかめるハンドルが付けられるようになった。それでもイギリスでは「東洋趣味」重視の伝統から19世紀初めまでは「ハンドル無しの茶碗」が主流であった。
かくて「茶液の受け皿にあけて音を立てて飲む」という習慣は次第に消えて行った。とりわけ19世紀後半のイギリスでは「喫茶の際に音を立てて茶液を啜る(飲む)などは全く下品なマナーである」として、上流階級はもとよりジェントルマン階級の間ではタブー視された。

3、テレビドラマ「相棒」と「殺しのカクテル」
 インテリで大の紅茶好きの“警視庁特命係・杉下右京警部”(水谷豊)と、彼の相棒の“亀山薫警部補’(寺脇康文)、それに亀山の妻、一年振りにロンドンから一時帰国した彼女の母(姑)の合計4人が、TV映画の最終章で探し当てた銀座のカクテルバー「リメンバランス」(追憶)を訪ね、蟹江敬三扮するマスター(バーテンダー)と再会した。そして、今回の殺人事件に悪用されたものとは知らず、姑が「逝去した主人との追憶に是非もう一度飲みたい」と熱望していた特殊なカクテルを注文した。マスター(犯人)が特にこだわったそのカクテルとは[アイラのスコッチ・シングルモルト、イングリッシュ・ジン、スペアミント、手指で砕いた梅干し]という「相性抜群のベスト・パートナー」(杉下と亀山の名コンビにもかけた)で創作されたものであった。  

   水谷豊さん(イベントで)

 さて翌朝、お別れの挨拶に杉下を警視庁に訪ねてきた姑は杉下自慢の“ティー”を味わうこととなった。姑「このお紅茶は何と言う銘柄ですか?」。杉下「セイロン・ウバといいます。お母様はロンドンでどのようなお茶をお飲みですか?」。姑「我が家ではダージリンのオータムナルをミルクティーでいただいておりますの」。杉下「ミルクはカップの中に先に入れていらっしゃいますか?その上から紅茶を注ぐといいですネ。よく混ざりますから。そして特に低温殺菌したものを使って。それからティーカップはあらかじめ暖めておくのがよろしいようで」。姑「私はミルクを後から入れますの」。杉下は談話をしながら種々様々な形やデザインのティーカップ群の中からいつものように選びだすと、ティーポットのハンドルを右手でつかみ、約20~30cmの高さからカップの中へ茶液を注ぎ落とすのであった。姑「なかなかお上手なのね」。

 時折、心配性な紅茶ファンの方から[あのような高い位置から、茶液を注ぐことについての是非は]と問われるが『お好みでどうぞ』と答えることにしている。決して上品な注ぎ方とはいえないが、[熱い茶液の温度が幾分下がり、飲みごろの温度に近づくし、先に入れた砂糖とミルクと茶液が確かによくまざる]。なにより視聴者からみて[チョットした視覚的な驚きと、チョットした紅茶に関する疑問]が生まれてきて、何か「新鮮な楽しみを得たような」心理状態になることもある。それこそ「炭火焙煎珈琲豆使用中のコーヒーショップ」などで、マスターやバーテンダーが“遊び”で楽しい演出をすることが昔からあったものである。

(つづく)