小説の中の「国分寺」

小説の中の「国分寺」

 

 大岡昇平の代表作の一つに「武蔵野夫人」という小説があります。この小説、国分寺とその周辺を舞台に書かれた恋愛小説として有名です。この小説の書かれたのは、昭和20年代で、当時、作者は小金井に住んでいて、国分寺周辺をよく散策していたようで、我々には馴染みの深い場所が随所に出てきます。小説の第1章のタイトルは、「ハケに住む人々」で、中ほどには「恋が窪」という章もあります。小説の時代設定は戦後間もない昭和22,3年頃とのことですから当然かも知れませんが、この小説の中では、国分寺周辺が今では考えられないような武蔵野の自然が残るのどかな田園風景の広がる土地として描かれています。
 小池真理子の作品に「狂王の庭」という長編小説があります。これも国分寺にある大邸宅と庭園を舞台に繰り広げられる恋愛小説です。時代は「武蔵野夫人」より少し後、昭和27年頃になっています。これら小説にあるような情景も都市化とともに大きく変貌してゆきます。昔からこの地域に住んでいる人によると、都市化が急激に進んだのは、昭和40年代中頃からではないかとのことです。
 城山三郎の「毎日が日曜日」という小説があります。商社マンの転勤や定年を書いた小説で昭和50年代のはじめに出版され、当時のベストセラーになっています。この小説に国分寺が登場します。大手商社に勤務する主人公の自宅が、郊外の国分寺市という設定になっています。長い海外勤務を終え東京に戻った主人公が京都支店長に任命され、家族(妻、子供2人)を残して、京都に単身赴任します。東京、大阪に比較すれば、京都での勤務は毎日が日曜日″だなと、口の悪い同僚に皮肉られながら慣れぬ仕事に取り組むことになります。一方、留守宅の国分寺では、長男は小金井の高校に、小学生の長女は高田馬場にある帰国児学校に通学することになりますが、二人とも新しい環境への適応に苦労します。留守宅の設定が国分寺市になったのは、この当時、この地域が都心に通う人たちの代表的な町の一つになっていたということだろうと思います。
 椎名誠の著書に「サラバ国分寺書店のオババ」というエッセイ集があります。これも昭和50年代のはじめに書かれたものです。当時、作者はサラリーマンで小平市の津田町(津田塾大の近所)に住み、国分寺駅を経由して都心に通っていました。毎日利用する国分寺駅、駅前の交番、駅周辺の古本屋、ラーメン屋等での出来事を鋭い観察眼でユーモラスなエッセイにしています。本の題名となっている「サラバ国分寺書店のオババ」はその中の一つです。この古本屋、駅南口にあったそうですが、もちろん現在は残っていません。
 今年のノーベル文学賞はボブ、ディランに決まりました。今年も受賞ならず、多くの村上春樹フアン(ハルキスト)がガッカリしました。同氏は早稲田大学(文学部)在学中に国分寺南口にピーター。キャットというジャズ喫茶をやっていたことがあり、国分寺には縁がある作家です。代表作の一つ「ノルウェイの森」にも国分寺は登場します。主人公のガールフレンドは武蔵野の外れにある女子大に通い、国分寺のアパートで一人暮らしをしている、という設定になっています。
 このように、国分寺は過去いくつかの小説の舞台として登場しています。
 急速に都市化が進む中でも、何となくローカルな所が残る、この町の持つ歴史と雰囲気が小説の舞台になりやすいのかも知れません。
                                   青木 壯司  記