国分寺句会

  • 2025年2月国分寺句会

    俳句同好会(国分寺句会)2月例会(第120回)

    俳句同好会(国分寺句会)の2024年2月例会が通信句会方式で開催されました。今月は吉松さんから退院の連絡をいただき、先月ご欠席の舘さんと清水さんからも投句いただき45句が揃う賑やかな句会となりました。
    参加者は以下の15名でした。
    出席者氏名;安齋篤史(俳号 安西 篤・講師)、赤池秀夫、内田博司、押山うた子、
    梶原由紀、佐竹茂市郎、清水 元(星人)、眞宅康博(泉舟)、舘 外博(爽風)、千原一延(延居)、中村憲一、野部明敬、藤本ひろみ、森尾秀基(ひでかず)、吉松峰夫(舞九)
    投句数:3句  兼題:「春浅し」または「早春」(いずれも傍題を含む)
                  
    講師選評 安西 篤(俳句結社「海原 KAIGEN」主宰)

    ◆2025年2月国分寺句会選評

    講師選評 安西 篤

    【特選】

    早春の弥陀仰ぎ見て鼓打つ      藤木ひろみ

     早春の身の引き締まるような冷気の中で、阿弥陀如来に奉納する鼓を打っている場面。甲高い掛声に続く鼓の音は、阿弥陀仏の座像をすっきりと浮かび上がらせる。中七の「弥陀仰ぎ見て」は、鼓の音によって、はがねを打ち延べたような引き締まった空間になった。作者自身の体験のようなリアリティを感じる。

    【並選】

    (一位)

    花束のセロファン鳴らし春は来ぬ    梶原由紀

     春は、卒業や定年退職或いは転勤等で、これまで慣れ親しんだ人々との別れの時期を迎える。同時に新入学や新入社、或いは新たな転入等、新しい出会いもある。中でもこれまでの思い出と誼へのお礼の意味を込めて、花束を送るときの感慨は無量である。その花束を包むセロファンの、葉騒のような響きは、鮮やかに胸を打つのではないだろうか。

    (二位)

    退院の夕餉に並ぶ恵方巻        吉松舞九

     最近作者は、軽い脳の手術を受けて無事退院されたと聞く。大事に至らなかったのはなによりのことだが、場所が場所だけに、予後は大切に送らねばなるまい。この句は、家族でのささやかなお祝いの膳に、験のいい恵方巻を用意したのだろう。それも手料理の心を込めたものに違いない。これからは良い幸運に恵まれますようにとの願いを込めていよう。

    (三位)

    聞き役の居てありがたき日向ぼこ    清水星人

     この作者も最近退院されたと聞く。やはり寄る年波には抗し難いものがあって、あちこち部品の故障が起きるのはやむを得ない。願わくは大事に至らぬ内に手当をされること。そんな体験談を聴いて下さる方もいるのは、有難いことといわれるが、聞き役の方こそ良いアドバイスを頂けているのではなかろうか。共生している他者を理解することの大切さが詠まれている。

    (四位)

    かしわ飯博多なまりに春こぼす     赤池秀夫

     「かしわ飯」とは九州福岡の郷土料理で、鶏肉に野菜を入れて煮詰めたものと聞く。ご当地出身者自慢の料理に、春の訪れを感じているということだろうか。「春こぼす」がちょっと難しいが、なんとなく春のおこぼれを頂戴しているような、得をしたような気分が感じられて、なるほどと思った次第。

    (五位)

    バス停の客みな笑みて梅ふふむ    眞宅泉舟

     バス停の傍に立っている梅の木。当然、バス停よりも先住に違いなく、期せずしてバスのお客の送り迎えをしているような、それかバス停の客たちへの慰めや憩いにもなっているような存在になっている。その梅が、この頃芽を振らませ始めた。そろそろ花の咲くのも近いと知り、皆笑顔で期待し始める。バス停は、春の訪れとともに明るくなるに違いない。

    (六位)

    早春の姿見の池鯉太め        野部明敬

     国分寺西恋ヶ窪地区にある姿見の池は、鎌倉時代からの由緒ある池とされており、市の自然保護地域に指定されている。岸辺の水草の栄養がいいのか、通りすがりの人々の撒き餌があるのか(市は禁じているが)わからないが、いずれも太めの体型で泳ぎ回っている。時には軽鴨家族が訪れたりすることもあって、風致の一端を担っているのも楽しい。

    (七位)

    初午の二列に挙る幟かな       中村憲一

     初午とは、二月の最初の午の日を祭日とするもので、全国あちこちの稲荷神社の祭事である。本来は豊年祈願の祭であったが、今では、出世開運の神として広く人気を集めている。掲句は、祭の地域での行列の賑わいを、二列の幟に象徴させたもの。素朴な地域への愛着を表現したものといえよう。

    (八位)

    ガン病棟生還せる夜冴え返る     舘 爽風

     作者自身の立場からすれば、まさに厳しい体験だったに違いない。最近の医療技術の進歩で、ガン死亡者数は二〇二〇年以降頭打ちとは言え、深刻な病状は変わらない。よくぞ御生還と申さねばなるまい。ましてご本人にとっては、奇跡の生還の思いもあって、その夜を「冴え返る」としたのだろう。納得の実感。

    (九位)

    日向ぼこついうとうとと小一時間   千原延居

     安らかな老後を送っている人の、平和で幸せなひと時を詠んだものだろう。いささか老耄の気配も感じないわけではないが、さりとてこういう時間が過ごせる人は、「世はすべて事もなし」と達観しているのではないか。多少これまでいろいろあっても、そう思えることが素晴らしい。

    (十位)

    早春や水ころころとお鷹の道   森尾ひでかず

     「お鷹の道」は、御存知武蔵国分寺公園の「眞姿湧水群」が集って野川に注ぐ清流沿いの小径。四季折々の散策路として人気があり、環境省指定名水選の一つに数えられる。いわば我々にとって超常識と言えなくもないが、こういう一句もわが句会ならではの句として、取り逃がしたくはない。

    【自句自解】

    悪尉の目玉ロンパリ春浅し      安西 篤

     「悪尉」は能面の一種で、猛々しく強い老人を表現し、老神、怨霊等を演ずる。そんな悪尉の面を見て、なぜかロンパリの斜視をうかがわせるような滑稽味を感じた。また春浅き季節に、現在の世界の不条理な情勢にも通ずるような時代相をも感じて、まだまだロンパリ状の歪みの根強さを見ている思いを強くしている。いささか意味にとらわれた映像表現で、時代状況を比喩したつもりである。

    ◆講師(安西 篤)詠 3句

    春浅き(オト)の訃報や深轍

    悪尉(アクジョウ)の目玉ロンパリ春浅し

    紅梅白梅白兵戦の気配かな

    ◆二月句会 高点句(同点の場合は番号順)

    【最高得点句・九点】

    早春や水ころころとお鷹道    ひでかず

    【その他の高点句・七点~六点】

    花束のセロファン鳴らし春は来ぬ 由紀

    退院の夕餉に並ぶ恵方巻     舞九

    早春の歩幅伸ばして歩みけり   泉舟

    悪尉(アクジョウ)の目玉ロンパリ春浅し    篤

    寒鴉空家の屋根であくびかな   ひでかず

    汐吐ける大蛤や能登余震     爽風

    聞き役の居てありがたき日向ぼこ 星人

    春浅き(オト)の訃報や深轍      篤

    年女追儺の豆に辟易す      うた子

    ガン病棟生還せる夜冴え返る   爽風

    早春の姿見の池鯉太め      明敬

    ◆2025年3月以降について

    ★3月は以下の通り対面句会の予定です。 
    日時:3月23日(日)13時30分~16時30分
    場所:本多公民館 会議室2
    兼題「卒業」または「三月」(「弥生」でも可)

    ★4月は通信句会の予定です。

    兼題:未定

    以上

  • 2025年1月国分寺句会

    俳句同好会(国分寺句会)1月例会(第119回)

    俳句同好会(国分寺句会)の2025年1月例会が1月19日(日)12時30分から対面句会方式で開催されました。当日の参加者は講師の安西 篤先生始め7名、欠席投句の6名を含め合計13名の句会となりました。年の初めのため、お昼の弁当を食べながらしばし歓談。ただ、幹事の吉松舞九さんが急遽入院のため欠席となり、静かな句会となりました。(吉松さんは1月末に無事退院)

    出席者氏名;安齋篤史(俳号 安西 篤・講師)、赤池秀夫、内田博司、押山うた子、梶原由紀、佐竹茂市郎、森尾秀基(ひでかず) 以上7名

    欠席投句: 千原一延(延居)、中村憲一、野部明敬、藤木ひろみ、吉松舞九、眞宅康博(泉舟) 以上6名 欠席;舘外博(爽風)、清水元(星人)

    投句数:3句  兼題:「年末・年始の季語一切」(いずれも傍題含む)」

    講師選評 安西 篤(俳句結社「海原 KAIGEN」主宰)

    ◆2025年1月 国分寺句会講師選評 

    【特選】

    訛りつつすする雑煮の味噌甘し  梶原由紀

     お正月ということで、久しぶりに故郷に帰り、親戚知人を交えて雑煮膳を皆で祝っているのだろう。懐かしい故郷訛りを丸出しにして語り合いなから、頂く雑煮の味噌味の甘さと言ったら、とてもそんじょそこらにあるようなものではない。思わず「うめぇーなあ」と唸らざるを得なかったに違いない。「訛りつつすする」に、味噌味が乗っていく。

    【並選】

    (一位)

    がん共闘の妻と祝いて屠蘇の酔い 吉松舞九

     夫婦揃ってがんを患いながら、新年を迎えた。ささやかなお膳に屠蘇を酌みあって、今年もよろしく、一緒に頑張りましょうと盃を挙げる。少しばかりの屠蘇に早くも酔いながら、ふとこんな時間がいつまで続くやらとも思いつつ、頑張らねばと励まし合う気持ちが通ってくる。「がん共闘」に、夫婦に通ずる気合を感じる。

    (二位)

    亡き夫のはじめて笑まふ春の夢 藤木ひろみ

     春の夢に、時々亡き夫が出てくることがある。どうもいつもは、生前同様の仏頂面が多いのだが、どういうわけかはじめて笑みこぼるる表情で出てきたことがあった。思いがけないことなので、どういう風の吹き回しなのとすげない返事をしながらも、なにやら目出度いことがありそうで心が温まって来る。本当のことなら良いお正月ですね。

    (三位)

    一人喰ぶなずな斑の粥柱    押山うた子

     正月十五日にお粥の中に入れて食べる餅のことを粥柱という。一人暮らしでありあわせのものを煮込んでいるせいか、なずな粥も斑模様を描いて粥端が立つ。「一人食ぶ」わびしさが斑の粥柱に通い合っている。

    (四位)

    皆揃い屠蘇の順番膳始め     中村憲一

     今年も正月には、家族一同揃って屠蘇の膳に着き、年の順に屠蘇による膳始めを行う。今年もどうやら一家の無事を祝って膳始めを行える幸せを思う。「皆揃い」に込めた年寄りの感慨を多としたい。

    (五位)

    孫娘(まご)の背の鴨居に紛ふ去年今年  野部明敬

     孫娘の成長の速さは、もはや鴨居に背が届かんばかり。もちろん作者はその成長ぶりを頼もしく思っているに違いないが、どこか手の届かぬものになっていく淋しさも感じているのではないか。そんな気持ちが「去年今年」の季語にこめられていよう。「紛ふ」は、気持ちはわかるがちょっと無理な言い方。

    (六位)

    元気よとつぶやきながら賀状書く  佐竹茂一郎

     年賀状の添え書きには、ほとんど判で押したように「お元気ですか」とある。まさにそれこそが賀状の本意に違いないのだが、それを賀状に書きつつつぶやいている。相手への挨拶を込めての思いともいえよう。

    (七位)

    風邪引いてそろりと歩む年始め  内田博司

     年の初めというのに風邪をひいて、初詣もそろりと歩むはめとなった。我々の世代ともなれば、もはや珍しい話でもないが、背を丸めてそろりと歩く姿のシマラナイことおびただしい。でも大事に年を迎えよという暗示かと思えば、それもまた一つの年迎えのあり方かもしれぬ。そう思いたい。

    (八位)

    春永や熊野三山舘燈し      千原延居

     熊野三山は、本宮、新宮、那智の三山が古代以来祀られて来た。鎌倉時代以降は庶民にも広まって、「蟻の熊野詣」と言われるほど全国に展開した。春は四月十五日に、本宮大社のお祭りが行われる。当然参詣客を迎え入れる宿泊施設も賑わい、その模様を「春永や」の季語に合わせて一句ものしたのだろう。三山の舘は一斉に灯をともして息づいている。

    (九位)

    つくづくと侘しき髪の初鏡    眞宅泉舟

     我々世代に達すると、頭髪の侘しさは争えないもので、初鏡を見るたびに昨年よりも侘しさを託つのも無理はない。寄る年波の厳しい現実を、初鏡から今さらのように見せつけられている。「つくづくと」に宿る境涯感の重さが、「侘しき髪」の軽さを際立たせる。

    (十位)

    難民に幸多かれと初日の出    赤池秀夫

     近くは能登の難民、そしてウクライナやガザ地区の避難民など、世界にはまだまだ多くの難民がいる。そんな人々の上に今年こそ幸多かれと願わずにはいられない思いを書いている。今さらの思いもあるが、初日の出に今年こその思いを込めて祈らずにはいられない。その姿勢を多としたい。

    【自句自解】

    梅咲いて卑弥呼くすりと笑みこぼす  安西 篤

     梅の咲いている庭に、古代日本耶馬台国の女王卑弥呼がふっと出てきたことを想像してみた。卑弥呼はクレオパトラ同様に、美人だったに違いなく、男どもを自在に操っていただろう。そんな卑弥呼が梅の咲く庭を一瞥して、くすりと笑った。とたんに庭の様子が華やいだような感じになった。そんな春の夢の一句。

    ◆講師(安西 篤)詠 3句

    初日向そのまま老いの仮想空間(メタバース)                        

    せりなずなごぎょうで終わる人の()は            

    梅咲いて卑弥呼くすりと笑みこぼす

    2025年1月 国分寺句会高得点句 (同点の場合は番号順)

    ★最高得点句・五点

    がん共闘の妻と祝いて屠蘇の酔   舞九

    一人喰ぶなずな斑の粥柱      うた子

    老いし手の大きく餅を丸めけり   由紀

    元気よとつぶやきながら賀状書く  茂市郎

    寄鍋や積もる話にすすむ箸     ひろみ

    ★その他の高得点句・四点

    眼福やビルの隙間の初日の出    ひでかず

    訛りつつすする雑煮の味噌甘し   由紀

    ◆2月以降の予定

    ★2月は通信句会です。

    兼題:「春浅し」または「早春」(いずれも傍題を含む)

    ★3月は以下の通り対面句会を行う予定です。 
    日時:3月23日(日) 13:30~16:30
    場所:本多公民館 
    兼題:未 定

    以上 

  • 国分寺句会

    俳句同好会(国分寺句会)12月例会(第118回)

    俳句同好会(国分寺句会)の2024年12月例会が通信句会方式で開催されました。

    参加者は以下の15名でした。
    出席者氏名;安齋篤史(俳号 安西 篤・講師)、赤池秀夫、内田博司、押山うた子、
    梶原由紀、佐竹茂市郎、清水 元(星人)、眞宅康博(泉舟)、舘 外博(爽風)、千原一延(延居)、中村憲一、野部明敬、藤本ひろみ、森尾秀基(ひでかず)、吉松峰夫(舞九)
    投句数:3句  兼題:「冬木」または「おでん」(いずれも傍題を含む)
    講師選評 安西 篤(俳句結社「海原 KAIGEN」主宰)

    【特選】

    被爆者の声の重さやオスロ冬 赤池 秀夫

    ノーベル平和賞に輝いた日本被団協代表のオスロでの挨拶の声を詠んだ句。挨拶スピーチは、被爆の現実を訥々と伝えていたが、それが返って内容の重さを感じさせるものだった。その率直な感動をあるがままに詠んだところがいい。こういう句は衒いなく素直に詠む方が、感動をストレートに伝えるものだろう。折しもオスロは冬の最中にあったのも、句に重みを加えた。

    【並選】

    (一位)

    親友とも逝きて喪に服す夜のおでん酒  千原 延居

    作者の年齢を考えれば、身近な友はきわめて寥々たるものだろう。喪に服す日々は引きも切らず訪れるに違いない。その実感を素直に詠んでいる辺りが、特選句同様かえって感銘を呼ぶ。おでん酒は、ひとり屋台で故人を偲ぶ時間を求めたもの。

    (二位)

    戦火果てず巡る生命や冬木立  清水 星人

    冬木立の中をひとり歩いている時に、ふと訪れた感慨。ウクライナの戦火と、そこで命を落としている人々に思いをはせて、いつまた同じ運命に晒されかねないわが身や身近な人々の身の上を思う。冬木立の季語が上中の思いに寄り添っている。

    (三位)

    冬木道ベレーの似合う人と居て  吉松 舞九

    冬木道を散策中、たまたま旧友と出会い、とあるベンチに腰かけて少しばかり話し込む。その人のかぶっていたベレー帽が不思議によく似合っていて、束の間の点景となつたことに安らぎを覚えている。「ベレーの似合う人」が、意外に洒落ていて粋な点景となったようだ。

    (四位)

    皆肩をすぼめおでんを待ち侘びて  梶原 由紀

    寒さの中、評判のおでん屋の行列に加って順番を待ち侘びている。誰しも寒さに肩をすぼめて、語り合うこともない。この着眼が効いている。寒さがひしひしと身に迫り、平凡な庶民の暮らし感覚がもろに出た句。

    (五位)

    三品を選ぶおでんやランチ時  野部 明敬

    前句に続くように、順番が来ておでんを買い求める場面。あらかじめ列の中から目がけていたものを確かめるように、すばやく三品を選んだ。ちょうどランチ時で、腹の虫の高鳴りを抑えながらの感じが三品に込められる。

    (六位)

    下戸の卓もっぱら菜となるおでん  押山うた子

    ごく当たり前の景をそのまま詠んだ句だが、いわれてみるとそうだったと腑に落ちる。下戸だっておでん屋に行き、酒も飲まずにもつぱらおでんだけを食うことはあるさ。力みかえるもなく、もつぱら自然体の開き直り。

    (七位)

    照紅葉法華寺菩薩唇くちの艶  森尾ひでかず

    法華寺は天平の総国分尼寺。そこに祀られている御本尊菩薩の唇は、形よく柔らかに結ばれ、照紅葉に映えて艶やかに光る。「唇の艶」が、まさに艶なる風情。すでに類想はありそうな句だが、菩薩の艶を多としたい。

    (八位)

    コンビニのレジの横からおでんの香  佐竹茂市郎

    たしかに最近はコンビニのレジの横辺りに熱々のおでん鍋がしつらえてある。おそらく管理上の必要からそうなったのだろうが、ついでに買っていくかという気にさせられる。今や見慣れた風景ではあるが、冬場の旬の匂いがたまらない。

    (九位)

    踏切を待つ間の匂いおでんかな  中村 憲一

    踏切で電車の通過を待つ間におでんが匂うのは、おそらく踏切に立っている人の群れの中に、おでんを買った人がいて、その手持ち荷から匂い立ったものだろう。なにやら、ついで買いを誘うようなひと時。

    (十位)

    冬木立オスロで語る被団協  内田 博司

    言うまでもなく、今年のノーベル平和賞受賞の被団協の代表が、原爆被爆の悲惨さを証言し、原爆廃絶を訴えたことを句にしたもの。特選句で同じ題材を頂いているので、十位とした時事句。

    【選者自句自解】

    いつよりか斜に歩きおり大枯野  安西 篤

    果てしない大枯野の中の道なき道を歩いていると、いつの間にか真っ直ぐとはいかず、斜に歩いていることに気づかされる。大枯野のような道なき道は、どんなに正確を期していても、実は斜に歩いてしまい、本来の目的の地点を見失いがち。それもかなり歩いてから、もはや引き返しも軌道修正もままならぬ危機感を書いてみた。

    以上

    ◆講師(安西 篤)詠 3句

    常連の姿の見えず夜のおでん

    冬木立伝い尋(と)むるも兜太留守

    いつよりか斜(しゃ)に歩きおり大枯野

    ◆十二月句会 高点句

    (同点の場合は番号順)

    【最高得点句・九点】

    被爆者の声の重さやオスロ冬  秀夫

    【その他の高点句・七点~六点】

    戦火果てず巡る生命や冬木立  星人

    シャッターを降ろす猫背や冬落暉  由紀

    冬木立伝い尋(と)むるも兜太留守  篤

    小銭出す皹ひび割れ指のもどかしく  憲一

    襟立てておでん屋台の椅子の端  泉舟

    【その他の高点句・六点~四点】

    雪吊りの引き合う綱の程の良さ  星人

    碧空に血脈描き冬木佇つ  泉舟

    照紅葉法華寺菩薩唇の艶  ひでかず

    いつよりか斜しゃに歩きおり大枯野  篤

    親友とも逝きて喪に服す夜のおでん酒  延居

    たそがれの冬木や吾に克己心  由紀

    ◆2025年1月以降について

    ★1月は以下の通り対面句会を行いました。 
    日時:1月24日(日) 13:30~16:30
    場所:本多公民館 
    兼題「年末・年始の季語一切(いずれも傍題を含む)」

    ★2月は以下の通り通信句会となります。

    投句締切 2月10日(火) 3句

    兼題: 「春浅し」または「早春」(いずれも傍題を含む)

    以上 

  • 2024年11月国分寺句会

    俳句同好会(国分寺句会)11月例会(第117回)

    俳句同好会(国分寺句会)の2024年11月例会が対面句会方式で開催されました。

    当日の参加者は講師の安西 篤先生始め9名、欠席投句の5名を含め合計14名の句会となりました。

    出席者氏名;安齋篤史(俳号 安西 篤・講師)、赤池秀夫、内田博司、押山うた子、

    梶原由紀、、清水 元(星人)、眞宅康博(泉舟)、、森尾秀喜(ひでかず)、吉松峰夫(舞九) 以上9名

     欠席投句: 佐竹茂市郎、千原一延(延居)、中村憲一、野部明敬、藤木ひろみ

           以上5名 

    欠席;舘 外博(爽風)

    投句数:3句  兼題:「石蕗(つわ)の花」または「木の葉髪(傍題を含む)

    講師選評 安西 篤(俳句結社「海原 KAIGEN」主宰)

    《 》内は講師の添削

    【特選】

    命継ぐ丸薬数多冬ざるる      押山うた子

     今や高齢化時代。おそらく当句会の誰しも、何らかの薬や健康食品に頼らざるを得ない状況ではないか。それも複数服用していよう。その現実を憂きものとは承知しながら、やはり対応せざるを得ない。「冬ざるる」の季語に、人生の冬の訪れをも意識しながら、差し迫った備えとして数多の丸薬に依存しつつある。瀬戸内寂聴は、毎日が死に支度で、その死に支度そのものが生き支度でもあると言う。丸薬の服用は、そのための一つの手立てでもある。「命継ぐ」思いは、「冬ざるる」なればこそ身に染みるのではないか。

    【並選】

    (一位)

    つわぶきの茎の煮物は母の味    吉松 舞九

     つわぶきの茎の煮物は、佃煮としても用いられるが、結構アクが強いので、しっかりアク抜きをするのが肝心ともいわれ、やはり家伝来の作り方を心得た母の味覚に如くはない。それはまさに母の味に違いなく、素朴ながら鄙びた表現が、ピタリと決まる。おそらく亡き母の味は、懐旧の思いの中で輝きを増すのだろう。

    (二位)

    入院の妻の背白し秋の風      清水 星人

     この句も身近に感じられる人は多いだろう。高齢ともなれば、連れ合いのどちらかが病み、入院することは誰しも経験する。この場合は、妻が入院することになり、その時の妻の背が、白く目に染みたという。それは白風ともいわれる秋風の中に浮き彫りになった。見送る夫の思いにも重なっている。

    (三位)

    退職の太線引けり石蕗の花     森尾ひでかず

     遂に定年退職の日を迎えた。書斎か居間の壁に貼ってある書き込み式のカレンダーに、退職の日を濃い筆ペンでマークしてある。それは石蕗の花咲く寒い冬の日だった。花のない時期だけに目にも鮮やか。長いサラリーマン生活の最後を飾るにふさわしい色合いで、一抹の淋しさを添えていた。カレンダーの太線が目に染みる。

    (四位)

    下町の引き戸喧し冬北斗      梶原 由紀

     下町の家は、江戸から戦前にかけて、引き戸作りの家が多かった。開ける時に、「ガラガラッ」と音を立てるので、人の出入りの気配がすぐに伝わる。冬の夜空に北斗七星が逆立つ下で、引き戸が喧しい音を立てる時、下町の情緒が夜空に匂い立つ。上中の簡潔な描写力が光る。作者はいつも手堅い市井感を捉えた句を作るので、外れがない。

    (五位)

    日向ぼこふたつに分けし豆大福   千原 延居

     残り少ない余生を自覚したとき、やはり最後の頼みの綱となるのは連れ合いに違いない。年末も近い或る日。二人して日向ぼこをしつつ、珍しく誰かのお裾分けとして貰った豆大福を、二つに分けて頬ばった。一人で食べるには手に余る大きさなので、二つに分けるのは当然だったが、外目には老後を仲良く分かち合っている二人と映ったに違いない。日向の温もりの感じられる句。

    (六位)

    山門の昏れゆくときを石蕗の花   藤木ひろみ

     おそらく年末近い或る日、先祖の墓参に出かけたのだろう。丁度山門の暮れつ方で、傍に石蕗の花が侘し気に咲いていた。いかにもあつらえたような石蕗の花の立ち姿が、まさにタイミングよく決まっていて、景の雰囲気に墓参の気分が溶け込んでいるようだ。

    (七位)

    拭う度汚れる顔の蓮根堀り     赤池 秀夫

     蓮根堀りは、正月需要を控えた十二月頃が最盛期で、蓮田での泥まみれの作業となる。

    「蓮堀が手もておのれの脚を抜く(西東三鬼)」ような悪戦苦闘ぶりの中、流れる汗を拭う度、顔に泥が塗りこめられていく。よくある発想なので類句はあるが、作者の実体感として頂ける。

    (八位)

    枯れ庭の石蕗の花咲く暮らしかな  内田 博司

     我が家の枯れ庭に石蕗の花が咲いた。いかにも淋し気な狭庭の中に咲いている。冬場ゆえの淋しい彩りながら、自分の暮らし向き同様の感じで、いかにも埴生の宿にふさわしい(句の解釈としてご理解願いたい)。石蕗の花にびったりの暮らしぶりを一入感じ入っている句。

    (九位)

    風に鳴る十一月のプラタナス    野部 明敬

     プラタナスの木は、和名を鈴懸といい、葉が大きいので街路や公園の緑陰樹として用いられ、十一月頃の秋風には葉騒を呼んで風に鳴る。それは秋の深まりを感じさせるもので、詩歌にもよく詠まれる。「プラタナス」の語感も洒落ているから、口当たりの良い句になるのだが、それだけに詠みつくされている感もあって、類句が多い。

    (十位)

    海風と登る山路の石蕗の花     眞宅 泉舟

     初冬の吹き上げる海風とともに、山路を登ると石蕗の花の群生に出会うことがある。まさにこの句に描かれた通りの群落だが、作者の個性的な視点や生活感に乏しいのが惜しまれる。

    【選者自句自解】

    命終とや一筋残す木の葉髪     安西  篤

     加齢とともに多くの年近の友を失う度に、いよいよ命終感に迫られる思いがある。その中で残り少ない木の葉髪の一筋を手にして、旦夕に迫るものを噛みしめることがある。他人はまだまだと慰めてはくれても、体力能力の衰えは争えず、多少の余裕のある髪にも、木の葉髪のわびしさを覚えている。 

    以上

    ◆講師(安西 篤)詠  3句

    石蕗の花呆けし母に参らする

    命終とや一筋残す木の葉髪

    指鳴らし街角ピアノ秋うらら

    ◆10月句会 高点句

                    (同点の場合は番号順)

    最高得点句・八点

    拭う度汚れる顔の蓮根掘り               秀夫

    その他の高点句・七点~六点

    日向ぼこふたつに分けし豆大福            延居   

    半生を妻に頼りて木の葉髪               星人   

    海風と登る山路の石蕗の花               泉舟

    その他の高点句・六点~四点

    襟肩にしがらみ抜けし木の葉髪            泉舟   

    黄を極め緑を極め石蕗の花               泉舟   

    マドンナにまた出会いたる冬相撲          舞九   

    命継ぐ丸薬数多冬ざるる                 うた子 

    石蕗の花呆けし母に参らする             篤     

    長考の碁盤にひらり木の葉髪             茂市郎 

    尿まで病んで弱気の木の葉髪             延居   

                      以上

    ◆12月以降の予定

    ★12月は以下の通り通信(テレワーク)句会となります。

    投句締切 12月10日(火) 3句

    兼題: 「冬木」または「おでん」

    ★2025年1月は以下の通り対面句会を開催いたします。 

    日時:1月19日(日) 13:00~16:30

    場所:本多公民館 会議室2 

    兼題 未定

    以上 

  • 俳句同好会(国分寺句会)の10月例会が開催されました。

      俳句同好会(国分寺句会)の2024年10月例会が通信句会方式で開催されました
     参加者は以下の14名でした。
    出席者氏名;安齋篤史(俳号 安西 篤・講師)、赤池秀夫、内田博司、押山うた子、
    梶原由紀、佐竹茂市郎、清水 元(星人)、眞宅康博(泉舟)、千原一延(延居)、中村憲一、野部明敬、森尾秀喜(ひでかず)、吉松峰夫(舞九)
    以上14名
     欠席;舘 外博(爽風)
     投句数:3句  兼題:「秋麗(あきうらら)」(傍題を含む)

    講師選評 安西 篤(俳句結社「海原 KAIGEN」主宰)
                         《 》内は講師の添削
    【特選】
    切りの無き妻の繰り言そぞろ寒   吉松 舞九
     たしかに妻の繰り言は、うんざりするほど切りもない。しかし振り返れば、その一半は夫たるおのれ自身が作り出しているのかもしれず、「そぞろ寒」の思いの中には、そんな自分自身へのやりきれなさがないまぜとなっているに違いない。曽野綾子もいうように、人間誰しも最後は負け戦だから、そのことを認めていなければ、最期はつらいものになるという。妻の繰り言もその過程として聞きおくしかあるまい。今さらのようにそんなリアリテイがこの句にあるのは、作者自身の吐息のように感じられるからだ。
    【並選】
    (一位)
    起き伏しをヨイショで区切り暮の秋 中村 憲一
     日々起き伏しの挙動を、時々区切りよくヨイショと声を掛けてメリハリをつけるのも、老いてからの生活のリズム感に乗せるのに有効ではないか。家人は何事が始まったかと思うかもしれないが。暮の秋の季節の変化にも対応して、いい気合がはいったことになる。
    (二位)
    秀麗や切子に注ぐ京土産      梶原 由紀
     江戸切子の無色または淡彩の器に、京土産の酒を注いで飲むという趣向だろう。江戸と京都の文化の照り合わせが、秀麗な日に一段と映えて、酒が一層美味しくなる。いかにも旨そうな感じと、土産の心映えが嬉しい。
    (三位)
    秋うららシニアばかりの講習会   吉松 舞九
     最近生涯学習の講習会が盛んだが、受講者のほとんどはシニアばかり。現役世代にには時間的余裕がなく、シニアには情報が少ないから、そういう結果になるのだが、ここではそのことの是非は問わず、それも一つの秋うららの景として詠んでいる。その判断は読者に投げ返されている。
    (四位)
    庭園に同期の円座秋うらら     清水 星人
     秋日和の日に、とある庭園で同期会を行う。ひさしぶりの集いに。話も盛り上がり、時のたつのも忘れるほどの秋うららの一日であった。いつまで続けられるかの危うさを感じながらも、せめて今を精一杯楽しめたという満足感に満たされている。
    (五位)
    秋日和バス停ひとつとばしけり   藤木ひろみ
     地方の交通を担うバスも、最近は過疎による乗客減で、バス台数の減少や臨機のバス停とばしもあるようだ。それが地方交通の合理化の一端とあらば、やむを得ない面があるのかもしれないのだが。悲しい現実だ。
    (六位)
    白杖の行く手色濃き紅葉かな    押山うた子
     年とともに目が不自由になって、今は白杖を突きながら道をたどる。折しも行く手に、目も鮮やかな紅葉が色濃く付き始めたという。残念ながらその絶景は、周りの人々から伝え聞くしかない。その淋しさは伝えようもないのだが。
    (七位)
    理髪師に歳をきかるる敬老日    赤池 秀夫
     近頃めっきり増え始めた白髪を気にしていたら、行きつけの理髪店で歳を聞かれた。一瞬嫌なことを聞くなと思ったが、そう見られる現実は受け入れざるを得ないかと思い知らされた。そしてあらためて、敬老日とは何かと思うようになった。
    (八位)
    秋うららリハビリの道靴軽し    千原 延居
     秋のうららかな日、リハビリへ行く道のりは楽しい。身も心も軽やかな気分で、これがささやかな幸せというものと自分に言い聞かせる。家人に対しても機嫌よくふるまえる一日の冥加というものだ。

    以上

    講師(安西 篤)詠 3句
    秋うらら兜太の尿瓶長靴型
    この上の試しに耐えて能登の秋
    吾(あ)にもある残んの日々や秋うらら

    10月句会 高点句
    (同点の場合は番号順)
      ★最高得点句・8点
    色の無き風に痩せゆく石仏 舞九
      ★その他の高点句・6点
    秋うらら兜太の尿瓶長靴型 篤
    白杖の行く手色濃き紅葉かな うた子
    きしきしと秋茄子洗ふ指の先 明敬
      ★その他の高点句・5点~4点
    行く秋や音なく落ちる砂時計 ひでかず
    草刈ってようやく庭の秋日和 博司
    吾にもある残んの日々や秋うらら 篤
    切りの無き妻の繰り言そぞろ寒 舞九              以上

    11月以降の予定

    11月は以下の通り対面句会を行います。 
    日時:11月24日(日) 13:30~16:30
    場所:本多公民館 会議室2 
    兼題「石蕗の花(つわのはな)」「木の葉髪」

    以上 

  • 俳句同好会(国分寺句会)の2024年9月例会が開催されました

    俳句同好会(国分寺句会)の9月例会が開催されました

    俳句同好会(国分寺句会)の2024年9月例会が通信句会方式で開催されました。

    参加者は以下の14名でした。

    出席者氏名;安齋篤史(俳号 安西 篤・講師)、赤池秀夫、内田博司、押山うた子、

    梶原由紀、佐竹茂市郎、清水 元(星人)、眞宅康博(泉舟)、千原一延(延居)、中村憲一、野部明敬、森尾秀喜(ひでかず)、吉松峰夫(舞九)

    以上14名

    欠席;舘 外博(爽風)

    投句数:3句  兼題:「台風」(傍題を含む)

    講師選評 安西 篤(俳句結社「海原 KAIGEN」主宰)

    《 》内は講師の添削

    【特選】

    身に沁むや自酌に余る一人膳    清水 星人

    日常吟ながら完成度の高い一句。「身に沁む」という季語が、老いた一人の夕食の膳に沁み通るばかりの淋しさを呼ぶ。「自酌に余る」とは、一人酌む酒を持て余しつつ、秋の夜長をゆっくり時間をかけて味わっている。こういう時間を、無為というのか有為というのか、そのいずれともいえながら、一概に決めつけられない。人生はすべて何かにつながっていて、べつの視角からいえば、人生に起こるすべてのことの一半は、呼び掛けの声であり、何かを気づかせるように仕組まれているのではないか。自酌に余る杯を弄びながら、肺腑に沁みわたる思いに呼ばれている。

    【並選】

    (一位)

    不知火や老い乗り越えて退院す   千原 延居

     旧暦七月晦日から八月朔日の真夜中に、九州有明海や八代海に、突然見える光。おそらく漁火がもたらす異常現象だが、いかにも神秘的な光を放つ。退院に当たり、ふと老いの坂を乗り越えてもう一旗の思いとともに帰宅する。もう年齢のことなど忘れて。先のことなど「知らぬ」とばかり。(くれぐれもご無理なきように。)

    (二位)

    閉園の園児の庭に秋の声      藤木ひろみ 

    近頃の少子高齢化の進展から、保育園も次第に減少しつつある中、閉園となって園児の声も途絶えた保育園の庭に、秋の声が忍び寄る。それは物寂しい秋の気配。弾けるような園児の声が、どこかから聞こえて来はせぬかと耳を傾ける。中七で切って《閉園の園児の庭や秋の声》としたいがどうか。

    (三位)

    野分雲早きに歩み急かされて    押山うた子

     野分雲は、風に乗って見る見る移動してゆく。その野分雲に急かされるように、私も足を速めてゆくという。まさに野分雲に誘われんばかりの歩の早め方だった。季節の変化に突き動かされた体の反応ともいえるもので、その体感がリアルに伝わってくる。

    (四位)

    梅もどき枯れて半端のない暑さ   内田 博司

     「梅もどき」は、本来「梅擬」「落霜紅」ともいう落葉低木で、秋に赤い実が枝一杯について美しい。今年は、九月に入っても例年にない暑さが続き、暑熱に耐えかねて枯れてしまったという。「半端のない暑さ」とは、最近の若者言葉に乗った表現で、その乗り具合も今風の軽みをともなって合っている。

    (五位)

    野分起つ町に二本の摩天楼     吉松 舞九

     野分は、台風ほどではないが、草木を吹き分ける程の強風を指す。「起つ」でも意味は通るが、歳時記では「野分立つ」と書くのが常識。その野分の中に、遠望できる二本の摩天楼があるという。掲句は、我が国の地方都市の風景のように見えるので、野分の季語から推すと、摩天楼はオーバーではないか。せいぜい《二本の高殿あり》と大和言葉で書き留めたい。

    (六位)

    秋澄むや水盤に葉の映り込む    梶原 由紀

     秋の大気の澄みゆくにつれ、活け花の水盤に入れた水にその葉が映り、あたかも大気にも澄みまさるかのように水盤の水に映し出してゆく。作者の澄みゆく心境が、映し出されるかのようだ。

    以上

    講師(安西 篤)詠 3句

    雷鳴の台風予告素手で受け

    銀河乳色衛星一匹流離いぬ

    野分晴戦火の地にもひと時を

    8月句会 高点句

                    (同点の場合は番号順)

    最高得点句・九点

    秋澄むや水盤に葉の映り込む     梶原 由紀

    その他の高点句・八点

    身に沁むや自酌に余る一人膳     清水 星人

    その他の高点句・六点~四点

    手の平の蝉鳴き止みて果てるかな  藤木ひろみ     

    ようように慣れし補聴器秋の声    吉松 舞九     

    車座で食む巻き寿司や天高し     梶原 由紀     

    野分雲早きに歩み急かされて     押山うた子     

    登校の児等小走りに野分晴       清水 星人     

    よさこいや老女の鳴子サンバ調    森尾ひでかず

    怒号飛ぶ工事現場や秋暑し       中村 憲一     

                      以上

    10月以降の予定

    10月句会も講師・安西先生のご都合により引き続き通信句会となります。 

    投句締切:10月10日(木) 投句数:3句(幹事まで)  

    兼題「秋麗(あきうらら)」(「秋日和」「秋高し」などの関連季語も可)

    以上 

  • 俳句同好会(国分寺句会)の8月例会が開催されました

    俳句同好会(国分寺句会)の8月例会が開催されました

    俳句同好会(国分寺句会)の2024年8月例会が8月24日(土)午後1時半より4時半まで本多公民館会議室2において開催されました。当日、曇り空の下を参集したのは以下の10名。欠席選句の4名を含めて14名参加の賑やかな句会となりました。

    出席者氏名;安齋篤史(俳号 安西 篤・講師)、赤池秀夫、内田博司、押山うた子、

    佐竹茂市郎、清水 元(星人)、眞宅康博(泉舟)、野部明敬、

    森尾秀喜(ひでかず)、吉松峰夫(舞九)以上10名

    欠席選句;千原一延(延居)、梶原由紀、中村憲一、藤木ひろみ 以上4名

    欠席;舘 外博(爽風)

    投句数:3句  兼題:「終戦記念日」(傍題を含む)

    講師選評 安西 篤  《 》内は講師の添削

    【特選】

    薩摩芋炊き込み一人敗戦忌     押山うた子

     戦中・戦後の食糧難時代、薩摩芋入り炊き込み粥は、しばしば常食となったもの。その体験者ならではの一句。それでも飢えを凌ぐ糧として貴重なものだった。敗戦忌にそれを思い返す度、忘れがちな歴史認識を噛みしめさせられる。ここであえて「一人」という限定は言わずもがな。事実としての共通認識こそ大切なもの。その着眼を買いたい。

    《芋粥の炊き込みの日々敗戦忌》として頂く。

    【並選】

    (一位)

    読本に墨の消し跡敗戦忌      吉松 舞九

     たしかに戦時中の国語読本には、軍国主義的記述がなされており、戦後その不都合部分を墨で消して使用された時期がある。そんな読本でも戦後の物資不足下にあっては貴重品として使用されたものだ。これもまた特選句同様のリアルな体験で、戦後八十年の日常感を歴史認識に重ねている。しいて言うなら《読本の》とした方が、時間差感をはっきりさせるように思う。

    (二位)

    墓石を潤す水や墓洗ふ       藤木ひろみ

     お盆の墓参りで墓石を洗うのは、我が国では慣わしとなっているものだ。その頃の墓石は、暑さに熱せられており、その天辺から水を掛けてやるといかにも気持ちよさそうに、音を立てて石肌に吸われてゆく。墓参者の「どう、さっぱりしたでしょう」という気分ありあり。

    (三位)

    新涼や父に倣いて拭く仏具     梶原 由紀

     立秋も過ぎてそろそろ涼しさを感じる頃、仏壇の仏具を拭き清めるのは父の慣わしだった。それを受け継ぐように、今、仏具を拭いている。「父に倣いて」には、おそらく亡き父への懐かしさと共にある。その実感は、父の仕草をなぞることで、甦ってくる。

    (四位)

    妻病みて今はいとおし夏帽子    清水 星人

     妻病む日々は、すでに長期に亘っているのだろう。他出することなく、自宅療養中の身では、夏帽子を着用することもなくなっている。かつて愛用した妻の夏帽子を、妻への思いとともにいとおしんでいる。「今はいとおし」に、元気なころの妻への思いとともに、その命長かれとの思いを込めているのだろう。

    (五位)

    蝉しぐれ妻の在所の法事かな    内田 博司

     お盆の頃、妻の在所から、恒例の法事の案内が来た。ちょうど蝉しぐれの降りしきる頃なので、しばらく行ってないなと思いつつ、懐かしさとやれやれ億劫なという思いがないまぜになって、しばらく思案しているのだろう。蝉しぐれが、どうすると催促しているかのようだ。

    (六位)

    畏まり雑音聴きし終戦日      眞宅 泉舟

     終戦時の玉音放送は、たしかに雑音の中で聞き取りにくかった。それだけに天皇の苦衷と恐れ多いという思いが交錯して、皆畏まって、少しでもその真意を受け止めようと、ラジオの前に膝をそろえたものだ。あの日の感動とも無力感とも思える呆然たる何かは、思い出すだに、やりきれない。これが歴史の真実というものなのだろう。、

    (七位)

    絹一丁たらい底から涼を挙げ    赤池 秀夫

     「絹一丁」とは、絹漉し豆腐をたらいの底から掬い挙げるときの豆腐屋の掛声なのかもしれない。それがいかにも威勢よく、真夏の涼味を誘い出す。よくある景だが、季節感を言い当てている。

    (八位)

    駅前の長い信号残暑かな      佐竹茂市郎

     駅前の踏切で、長い間信号開けを待っている。そのとき、つくづく今年の残暑は長く暑いなあと感じている。こういう日常の隙間に、季節感はまざまざと忍び寄るものだ。さりげない瞬間に訪れる季節の姿、またそれに感応する人間の気分のたゆたい。

    (九位)

    見舞いしは昨日の訃報夏の果    森尾ひでかず

     句の文脈を正す例として挙げた。昨日見舞いしたばかりなのに、今日訃報に出会うとは、という思いを句にしたかったのだろう。「昨日の訃報」が事実に反する。題材としては、こういう無常迅速の思いはよくわかる。

    《昨夜(きぞ)見舞い今日訃報とや夏の果》

    【自句自解】

    残暑陳者(のぶれば)鼻毛むしりて送る日々   安西  篤

     残暑見舞いの便りに、「当方無事消光」という決まり文句でなく、すこしおどけて、「鼻毛むしりて送る日々」とやってみた。その前に「残暑陳者」としかつめらしく挨拶してみせたのが、隠し味になっていると思うがどうだろう。               

    以上

    8月句会 高点句

              (同点の場合は順不同)

    最高得点句・7点

    読本の墨の消し跡敗戦忌           吉松 舞九

    海山も静寂(しじま)覆いて終戦日   眞宅  泉舟

    その他の高点句・5点

    炎天の無人の街を迷いけり        梶原  由紀   

    薩摩芋炊き込み一人敗戦忌        押山うた子   

    墓参するふるさとも無き老いの秋   安西  篤   

    畏まり雑音聴きし終戦日          眞宅 泉舟   

    絹一丁たらい底から涼を挙げ      赤池 秀夫

    (以下 略)

    9月以降の予定

    9月句会は通信句会となります。 

    投句締切:9月10日(火) 投句数:3句(幹事まで)  

    兼題「台風」(「野分」「二百十日」などの関連季語も可)

    以上 

  • 俳句同好会(国分寺句会)の7月例会が開催されました。

    俳句同好会(国分寺句会)2024年7月例会が通信句会形式で開催されました。

    投句締切 7月10日(水)、選句締切 7月22日(月)

    今月の兼題: 向日葵(ひまわり)

    今月、通信句会に参加したのは以下の14名でした。

    参加者氏名;安齋篤史(俳号 安西 篤・講師)、赤池秀夫、内田博司、押山雅子(うた子=投句のみ参加)、梶原由紀、佐竹茂市郎、清水 元(星人)、眞宅康博(泉舟)、千原一延(延居)、中村憲一、野部明敬、藤木ひろみ(選句のみ参加)、森尾秀喜(ひでかず)、吉松峰夫(舞九) 以上14名

    欠席;舘 外博(爽風)

    講師選評 安西 篤

    【特選】

    向日葵や老いの車を老いが押す   吉松 舞九

     いわゆる老々介護の日々を詠んでいる句。向日葵には、「日車」という別称もある。掲句は、向日葵畑の道を車椅子に乗せて、連れ合いを散歩させている景だろう。高齢者の多い地方の中都市郊外でよく見かける景だ。久しぶりの晴れた外気に触れて、気持ちよさそうにしている老妻の顔を、満足げに眺めている作者の気持ちも晴れやかで、大輪の向日葵に揺さぶられているよう。中七下五の現実感が今さらのように切ない。

    【並選】

    (一位)

    絵日記のひまわりの顔孫の笑み   清水 星人

     孫の描いた絵日記の中に、大きなひまわりが描かれている。その絵の出来栄えに、孫が満足してにっこりしたのかも知れないし、或いは向日葵の絵の傍に、ひまわり同様の笑顔を見せている孫の顔が描き添えてあるのかもしれない。その受け取り方は読者に委ねられているが、どちらもありで、いいのではないか。

    (二位)

    向日葵の蜜採る亡夫(つま)の眼裏(まなうら)に    押山うた子

     亡夫は生前、よく向日葵から蜜を採集していた。その時の喜々とした姿が、今も眼裏に浮かぶ。その思い出は、さらに幻のように、さまざまな連想を呼んで、亡夫との日々を走馬燈のように回想させてくれる。それは若き日の亡夫との甘やかな思い出をクローズアップさせながら。

    (三位)

    向日葵やゴッホの絵にも狂い咲き  千原 延居

     地球猛暑の前書きがある。この前書きで句が生きた。向日葵はゴッホの名作の一つとされているが、あの絵には、どこか神経的鋭さを蔵しながらも、全体として温かみを感じさせる。ゴッホの向日葵は数点あるが、その中の赤い向日葵をこの場合想定したい。暑さに狂い咲きしたと見たことで、ゴッホの生涯が生かされたのだ。

    (四位)

    ひまわりや生徒ふたりの無人駅   梶原 由紀

     過疎の私鉄の無人駅。駅舎の傍らにひまわりがひっそりと咲いている。通学する生徒が二人いて、電車の来るのを待っている。ひまわりだけが生徒たちを「行ってらっしゃい」と見送っているかのよう。淋しさの中に、向日葵の健気な姿が明るさを灯す。

    (五位)

    蚊帳の香の遠き記憶や母の歌    清水 星人

     今はもう使われることもなくなった蚊帳も、昭和時代は必需品だった。夜、母の子守歌を聞きながら、蚊帳の香りの中で寝入った日々が忘れられない。香と歌の取り合わせがよく響き合う。

    (六位)

    ガラス戸の守宮の蹠撫でにけり   中村 憲一

     夏の夜、ガラス戸に守宮がやってきて、しばらく貼りついていることがある。そのきれいな蹠を、ガラス戸の内側から撫でてやると、守宮はじっと動かないで、なすが儘に任せてくれる。何か通い合うものを感じたのだろう。その見立てがいい。

    (七位)

    ひまわりや種であそんだ昭和の日  内田 博司

     この「昭和の日」は、祝日ではなくて昭和時代を含意していよう。子供の頃は、向日葵の種で五目並べをしたり数を数えたり、用が済んだら齧ってみたりして楽しんだもの。古き良き時代の必需品だった。

    (八位)

    白シャツや新たな駅で六十半ば   森尾ひでかず

     句の焦点は加齢感にあるのだから、「還暦も過ぎて白シャツ新駅で」と逆転して捉えてはどうか。その年になって新たな生き方で行こうとする思いが焦点のはず。

    (九位)

    向日葵や道まっすくに開拓地    赤池 秀夫

     向日葵が道しるべのように道端に立っている。あたかも、この道をまっすぐ行けば開拓地ですよとばかり。向日葵のしっかりした立ち姿に、信頼感も見えて。

    (十位)

    被災地の庭に向日葵独りたつ    眞宅 泉舟

     津波の被災地で、家は跡形もなくなった庭に、向日葵の花がポツンと独り立っている。その姿に、ここに家ありきと云わんばかりの存在感がある。被災地の庭の設定がリアル。

    以上

    7月句会の高点句 (同点の場合は順不同)

    最高得点句・十点

    ガラス戸の蹠(あうら)撫でにけり                 中村 憲一

    その他の高点句・六点~四点

    ひまわりや生徒ふたりの無人駅        梶原 由紀     

    半夏生能登の塗椀掌に包み               安西 篤       

    向日葵の蜜採る亡夫(つま)の眼裏(まなうら)に         押山うた子     

    向日葵や道真っすぐに開拓地         赤池 秀夫     

    蚊帳の香の遠き記憶や母の歌         清水 星人     

    向日葵の蒼天を背に毅然たり         眞宅 泉舟     

    向日葵や老いの車を老いが押す        吉松 舞九   

    国分寺句会 今後の予定            

    8月句会(対面句会)

    日時: 8月24日(土)午後1時半~4時半

    場所: 本多公民館 会議室2  

                              以上

  • 俳句同好会(国分寺句会)の6月例会が開催されました。

    俳句同好会(国分寺句会)の6月例会が開催されました。

    俳句同好会(国分寺句会)6月例会が6月22日午後1時半より4時半まで本多公民館会議室2において開催されました。

    当日、小雨の中を参集したのは以下の11名。欠席選句の3名を含めて14名参加の賑やかな句会となりました。

    出席者氏名;安齋篤史(俳号 安西 篤・講師)、赤池秀夫、内田博司、押山うた子、梶原由紀、佐竹茂市郎、清水 元(星人)、眞宅康博(泉舟)、

    野部明敬、森尾秀喜(ひでかず)、吉松峰夫(舞九)以上11名
    欠席選句;千原一延(延居)、中村憲一、藤木ひろみ 以上3名
    欠席;舘 外博(爽風)

    講師選評 安西 篤 
    【特選】
    父の日の息子の嫁の電話かな 中村 憲一
     父の日に、遠く離れ暮らす息子の嫁から、必ず様子を尋ねる電話を貰う。その心遣いをいつも嬉しく有難く感じている。善き嫁を得た息子の幸福感を、父の日にしみじみと思う。これも幸せな老後の幸福感の一つ。この父は、或いはすでに妻たる母を亡くしているのかもしれない。余生に残る幸福感を大切に思う心境が見えてくる。

    【並選】
    (一位)
    父の日や病む妻笑顔のプレゼント 千原 延居
     父の日の当日、父の妻たる母は病床にあって、父になにもしてやれない思いを抱え、せめて精一杯の笑顔をプレゼントする。父にとっては何よりのプレゼントで、早く治ってくれれば、それ以上のプレゼントはないとの思いを込めている。

    (二位)
    父の日や娘を背なに走った日  清水 星人
     父の日に成人した娘から、心を込めたプレゼントを貰った。そういえば、娘の幼き日、深夜急に熱を出し、その娘を背負って医者に駆けこんだことを思い出す。あの頃の娘が、よくぞここまで成長してくれたものよとの思い。

    (三位)
    手酌酒普段通りの父の日よ  赤池 秀夫
     父の日と言っても、母の日とは違い、ことさらな祝い事はないのが普通。父たる吾は、せいぜいいつも通りの手酌酒を独り酌んでいる。とはいえさびしさよりも、普段通りの無事の日を迎えた安堵感が先立つ。

    (四位)
    父の日や父思い出す煙草盆  内田 博司
     父の日に、父が愛用した煙草盆取り出して、亡き父を偲んでいる。父への回想を父の手触り感の籠る煙草盆にふれてみる。そこに父との膚接感を思い出しながら。

    (五位)
    病床の父の日の背掻きにけり 森尾ひでかず
     これも亡き父への回想だろう。病床にあった父から、背を掻いてくれといわれて、掻いてやった日のことを想い出す。父の背の温もり、肌ざわりに在りし日の父が甦る。今、自分にもあの頃の背の痒さを覚えながら。

    (六位)
    祝われぬ父の日暮れてまた一献  眞宅 泉舟
     母の日と異なり、父の日となると誰も祝ってはくれない。仕方なく屋台の独酌で、独り祝うでもなく、まあいいかとばかり飲んでいる。そんな時の酒は、一杯いっぱいもう一杯とばかり、意外に深くなるものだ。

    (七位)
    父の日や寡黙な父が礼を言ふ  佐竹茂市郎
     父の日に、ふと思いついて、祝いのささやかな夕食を家族で共にする。日頃、寡黙な父が、珍しく皆に礼を言った。本当は淋しかったに違いない。言葉少なの挨拶だったが、今思えば心に染みるものがあった。

    (八位)
    父の日の父の写真は若きまま  吉松 舞九
     亡き父の思い出の写真だろう。晩年のものはほとんどなくて、若き日の写真だけが残っている。それはいつまでも、若き日のままの父像として胸に刻まれる。なんとそこに、若き日の自分の姿があった。

    (九位)
    父の日や家庭麻雀賑ふて  野部 明敬
     これも父の日の思い出の句。父在りし日、よく家庭麻雀をやつたなあと思う。あの時の上機嫌な父と一家団欒の温もりが、今も思い出される。

    (十位)
    父の日や父の膝恋う老いし今   押山うた子
     父の日に、亡き父がよく幼い頃の自分を膝の上に乗せて、あやしたり、お話を聴かせたりしてくれたりしたことを思い出す。そういえば自分はお父さんっ子だった。あの時の父の膝は、私にとっての楽しい小宇宙だつた。老いた今にして、あの頃の父の膝がたまらなく恋しい。

    【講師よりの一言】
     今回の兼題作は、いずれも実感が籠っていて、順位をつけ難かった。どれも甲たり難く、乙たり難い作であったと思っている。やはり生活実感の迫力ならではもの。

    6月句会 高点句
    (同点の場合は順不同)
    最高得点句・七点
    父の日や病む妻笑顔のプレゼント 千原 延居
    その他の高点句・六点
    父の日や寡黙な父が礼を言ふ    佐竹茂市郎
    父の日や父想い出す煙草盆     内田 博司
    父の日や戯れ描く父の皺 森尾ひでかず
    父の日や今朝も変わらぬ菜っ葉汁  眞宅 泉舟
    初鰹いつしか戻る国訛り      吉松 舞九
    枇杷熟るる南海トラフ眠る浜    吉松 舞九
    その他の高点句・五点~四点
    父の日の息子の嫁の電話かな    中村 憲一
    父の日や娘を背なに走った日    清水 星人
    祝われぬ父の日暮れてまた一献   眞宅 泉舟
    手酌酒普段通りの父の日よ     赤池 秀夫
    父の日や語らぬままの父恋し    内田 博司
    病床の父の日の背掻きにけり    森尾ひでかず
    夕焼けの影絵の中に父がいて    安齋  篤
    父の日や贋端渓を洗い干す     赤池 秀夫
    (以下 略)

    来月以降の予定

    7月句会(通信句会) 
    投句締切: 7月10日(水) 投句数:3句

    8月句会(対面句会)
    日時: 8月24日(土)午後1時30分~4時30分
    句会場: 本多公民館 会議室2 

    以上 

  • 讃華会予定

    讃華会(山岸):319()開催、8名、次回は416日(火)17時から華琳で行います。

  • 俳句で楽しむ自粛生活 (国分寺句会「テレワーク句会」活動報告)

    俳句で楽しむ自粛生活
    (国分寺句会「テレワーク句会」活動報告)

    初日の出 光冠(コロナ)真浴びに 受け止めて   安西 篤

    国分寺稲門会の俳句同好会「国分寺句会」は発足して七回目の新年を迎えました。
    上記の句は、今年の新年句会に出された講師の安西 篤先生の作品です。昨年末以来、東京都の新型コロナ感染者数は日に日に増え続け、新年早々、二度目の緊急事態宣言が出されるという落ち着かない年末年始でした。
    「コロナ」は今や「新型コロナウイルス(COVID-19)」の代名詞となりつつありますが、本来は日食の時に肉眼で見ることができる太陽の光冠のことで、「冠」を意味するラテン語が語源です。安西先生の句には、今や世界に猛威を振るうコロナ禍に立ち向かう決意がこめられているように受け取れないでしょうか。

    「国分寺句会」は、国分寺稲門会の同好会の中でも比較的新しく、平成26年11月に発足しました。コロナ禍で活動を控えざるをえない同好会が大部分を占める国分寺稲門会のなかで、パソコンやファックスなどを使った在宅通信句会の形式で毎月欠かさず句会を開いて活動を続けております。名付けて「テレワーク句会」始まったのが昨年3月でしたので、今年の2月句会で丁度1年になります。
    講師の安西 篤先生には、国分寺稲門会のご縁で昨年5月からご指導をいただいております。テレワーク句会が始まっておりましたので、句会で直接ご指導を受ける機会がまだないのは残念なことです。
    安西先生は、平成30年に亡くなられた金子兜太先生のあとを引き継いで、現在、結社「海原(かいげん)」主宰として多忙極まる毎日にもかかわらず、毎月テレワーク句会のために懇切な選評を寄せてくださっております。
    会員からは「先生の温かい選評を楽しみに今後も投句を続けさせていただきます」「先生の選評を拝読すると、映像を見ているかのように情景が浮かび、自分では読み解けなかった部分に気付かされることが多い」などの感謝の言葉が寄せられています。
    「テレワーク句会では、句会でのやり取りが活字で表現されるので、自粛生活の有り余る時間を使ってじっくりと皆さんの句を選んだり、先生の講評、会員の選評を拝見して俳句の深みを知ることができる。これはテレワーク句会のプラスの部分ではないだろうか」というご意見もありました。まさにその通りではないかと思います。

    現在「テレワーク句会」は次のようなスケジュールで行なわれています。
    毎月  1日  句会の案内 (当月のお題が知らされます)
       10日  投句締切 (一人3句をパソコンやファックスで幹事に送付)
       12日  投句一覧表の送付(作者名を伏せた一覧表が幹事から送られてくる)
       20日  選句締切 (特選1句 並選4句を選んで幹事に送る。
                  特選には各人の選評をつける。
                  講師は特選1句 並選6句で、全選句に選評をつける)
       22日  選句結果一覧表と講師・会員の選評一覧表の送付
                  (作品ごとの得点表示)

    毎月同じことの繰り返しですので、そのうちに飽きが来るのではないかと思われるかもしれませんが、例えば春の場合、2月―初春、3月-仲春、4月-晩春と季節が移り、咲く花も、2月―梅、3月-桃、4月-桜、と変わってきて、季節の変化を追うのに忙しく、退屈する暇もありません。
    では、昨年秋・冬のテレワーク句会の作品から「一人一句」をご紹介いたします。

    国分寺句会 近詠一人一句 (平成2年 秋・冬の部)

    雑炊をすすり非戦を胸深く       黒川 清虚(国分寺)
    水郷の街の句碑読む冬隣        赤池 秀夫(国分寺)
    湯豆腐や人恋しさとぐいのみと     内田 博司(国分寺)
    母在りし遠き昭和の湯婆(たんぽ)かな  清水 星人(国分寺)
    暮の秋母の背中の丸みたる       眞宅 泉舟(国分寺)
    神の旅御籤に吉の少し増え       舘  爽風(国分寺)
    妻癒えぬはや秋茄子の味噌いため   千原 延居(国分寺)
    コロナ禍の地球咽せるや冬隣      野部 明敬(国分寺)
    真砂女似の女将(おかみ)の捌く寒鮃   吉松 舞九(国分寺)
    鏡面に塵なき朝や冬隣         梶原 由紀(国分寺)
    混沌はそのままにして小春空      大畠 薫 (清瀬)
    染みのある句帳の古び冬隣       押山うた子(武蔵村山)
    湯婆(ゆたんぽ)の温もり探す足四本   佐竹茂市郎(立川)
    冬の日の憑かれたように手を洗う    中村 憲一(練馬)
    樽柿の張りつめし皮朱に満ちて     藤木ひろみ(中野)

    ◆講師
    憂国忌皇帝ダリア首もたげ       安西  篤(国分寺)

                        (吉松峰夫 記)


     

  • 国分寺句会新年会 (2018年1月20日(土))

    1月20日(土)今年の初句会が12時半から本多公民館で開かれました。
    本句会が第一回の句会を開いたのは平成26年の11月。今回は4度目の新年となりました。
    穏やかな冬晴の当日、集まった句友は講師の細見逍子先生を含めて13名、欠席投句が1名、合計14名と盛況。

     投句は例月通り1人3句ですが、初句会の特例として、選句は7句(講師の選句は10句)の大盤振る舞い。机の上には正月とあって、公民館一階の食堂特製の幕の内弁当、会員有志の差し入れの飲み物が並ぶ。幹事長の黒川清虚さんの音頭で、この一年の健吟を祈って乾杯。
    食事のあとは、いつも通り投句・選句・講評と進み、高点句にはお年玉の天・地・人各賞が細見先生から授与されました。この日の高点句と作者は下記の通り。

    天賞       島影の濃くなりゆきぬ初茜    千原 延居 (国分寺)
    地賞   日溜りを独り占めして初電車    吉松 舞九 (国分寺)
    人賞       去年今年八十路の瀬戸の無分別   野部 明敬 (国分寺) 

    当日参加の皆さんそれぞれの高点句を一人一句として下にまとめました。

                      (吉松舞九・記)

    新年句会一人一句 (天・地・人受賞者については本文参照)

    悪しきこと良きことも捨つ古日記    黒川 清虚 (国分寺)  

    獺祭を論じ一瓶大旦                  中村 憲一 (豊島)

    いつになく多弁な友や暖炉燃ゆ      舘   爽風 (国分寺)

    初東風や五臓六腑に陽をもらふ      梶原 由紀 (国分寺)

    老体の心身に添ふ小豆粥             押山うた子 (武蔵村山)

    七福神年々増ゆる願ひ事             佐竹茂市郎 (立川)

    風花やたんの太助の城下町           内田 博司 (国分寺)

    子等帰る名残りの重箱四日かな      大畠  薫  (清瀬)

    増上寺鐘鳴り渡る初詣               藤木ひろみ (中野)

    爺(ぢぢ)と呼ぶ愛しき寝息除夜の鐘  清水 星人 (国分寺)

    神主の嬰(やや)のやは肌初ゑくぼ     細見 逍子 (清瀬)

     

  • 国分寺句会 初句会 (2016年1月16日)

    1月16日(土)今年の初句会が12時半から本多公民館で開かれました。
    本句会が第一回の句会を開いたのは一昨年の11月。今回は二度目の新年となりました。
    出席は、講師の細見逍子先生を含めて12名、欠席投句が2名、合計14名と盛況。

    現在中国・安徽省合肥に長期出張中の赤池秀夫前幹事は、正月休みで一時帰国中でしたが、仕事の都合で句会当日の空の便で出発。 久々の句会出席が叶わなかったのは残念でした。
     初句会の特例で投句は3句、選句は5句。講師の講評もなく、皆さんリラックスの様子。
    机の上には正月とあって、公民館一階の食堂特製の幕の内弁当がならぶ。
    幹事長の黒川清虚さんの開会の言葉、細見先生の年頭のご挨拶のあとビールで乾杯。
    この一年の健吟を祈って乾杯の音頭を取るのは最年長の千原延居さん。

    食事のあとは、いつも通り投句・選句と進み、高点句にはお年玉の天・地・人各賞が細見先生から授与されました。この日の高点句と作者は下記の通り。

    天賞     幸せは小さきこそ良し福寿草   舘 爽風(国分寺)
    地賞      初神楽聞こゆる空や男坂     吉松舞九(国分寺)
    人賞      初春や清正井(きよまさいど)の滾々(こんこん)と       中村憲一(豊島) 
    人賞     もみじの手しかと合はせし初詣     黒川清虚(国分寺)
    人賞     夕映えに稜線あをき初秩父     大畠 薫(清瀬) 
    句会の最後に、参加者全員の自薦一句を選びお開きとなりました。

    一人一句についてはこちらをご覧ください。
                                            (吉松舞九・記)

  • 国分寺句会(2015年7月18日)

    7月度の句会を開催しました。本多公民館にて。

    次回は9月開催です。