- 俳句同好会(国分寺句会)の10月例会が開催されました。
俳句同好会(国分寺句会)の2024年10月例会が通信句会方式で開催されました
参加者は以下の14名でした。
出席者氏名;安齋篤史(俳号 安西 篤・講師)、赤池秀夫、内田博司、押山うた子、
梶原由紀、佐竹茂市郎、清水 元(星人)、眞宅康博(泉舟)、千原一延(延居)、中村憲一、野部明敬、森尾秀喜(ひでかず)、吉松峰夫(舞九)
以上14名
欠席;舘 外博(爽風)
投句数:3句 兼題:「秋麗(あきうらら)」(傍題を含む)講師選評 安西 篤(俳句結社「海原 KAIGEN」主宰)
《 》内は講師の添削
【特選】
切りの無き妻の繰り言そぞろ寒 吉松 舞九
たしかに妻の繰り言は、うんざりするほど切りもない。しかし振り返れば、その一半は夫たるおのれ自身が作り出しているのかもしれず、「そぞろ寒」の思いの中には、そんな自分自身へのやりきれなさがないまぜとなっているに違いない。曽野綾子もいうように、人間誰しも最後は負け戦だから、そのことを認めていなければ、最期はつらいものになるという。妻の繰り言もその過程として聞きおくしかあるまい。今さらのようにそんなリアリテイがこの句にあるのは、作者自身の吐息のように感じられるからだ。
【並選】
(一位)
起き伏しをヨイショで区切り暮の秋 中村 憲一
日々起き伏しの挙動を、時々区切りよくヨイショと声を掛けてメリハリをつけるのも、老いてからの生活のリズム感に乗せるのに有効ではないか。家人は何事が始まったかと思うかもしれないが。暮の秋の季節の変化にも対応して、いい気合がはいったことになる。
(二位)
秀麗や切子に注ぐ京土産 梶原 由紀
江戸切子の無色または淡彩の器に、京土産の酒を注いで飲むという趣向だろう。江戸と京都の文化の照り合わせが、秀麗な日に一段と映えて、酒が一層美味しくなる。いかにも旨そうな感じと、土産の心映えが嬉しい。
(三位)
秋うららシニアばかりの講習会 吉松 舞九
最近生涯学習の講習会が盛んだが、受講者のほとんどはシニアばかり。現役世代にには時間的余裕がなく、シニアには情報が少ないから、そういう結果になるのだが、ここではそのことの是非は問わず、それも一つの秋うららの景として詠んでいる。その判断は読者に投げ返されている。
(四位)
庭園に同期の円座秋うらら 清水 星人
秋日和の日に、とある庭園で同期会を行う。ひさしぶりの集いに。話も盛り上がり、時のたつのも忘れるほどの秋うららの一日であった。いつまで続けられるかの危うさを感じながらも、せめて今を精一杯楽しめたという満足感に満たされている。
(五位)
秋日和バス停ひとつとばしけり 藤木ひろみ
地方の交通を担うバスも、最近は過疎による乗客減で、バス台数の減少や臨機のバス停とばしもあるようだ。それが地方交通の合理化の一端とあらば、やむを得ない面があるのかもしれないのだが。悲しい現実だ。
(六位)
白杖の行く手色濃き紅葉かな 押山うた子
年とともに目が不自由になって、今は白杖を突きながら道をたどる。折しも行く手に、目も鮮やかな紅葉が色濃く付き始めたという。残念ながらその絶景は、周りの人々から伝え聞くしかない。その淋しさは伝えようもないのだが。
(七位)
理髪師に歳をきかるる敬老日 赤池 秀夫
近頃めっきり増え始めた白髪を気にしていたら、行きつけの理髪店で歳を聞かれた。一瞬嫌なことを聞くなと思ったが、そう見られる現実は受け入れざるを得ないかと思い知らされた。そしてあらためて、敬老日とは何かと思うようになった。
(八位)
秋うららリハビリの道靴軽し 千原 延居
秋のうららかな日、リハビリへ行く道のりは楽しい。身も心も軽やかな気分で、これがささやかな幸せというものと自分に言い聞かせる。家人に対しても機嫌よくふるまえる一日の冥加というものだ。以上
講師(安西 篤)詠 3句
秋うらら兜太の尿瓶長靴型
この上の試しに耐えて能登の秋
吾(あ)にもある残んの日々や秋うらら10月句会 高点句
(同点の場合は番号順)
★最高得点句・8点
色の無き風に痩せゆく石仏 舞九
★その他の高点句・6点
秋うらら兜太の尿瓶長靴型 篤
白杖の行く手色濃き紅葉かな うた子
きしきしと秋茄子洗ふ指の先 明敬
★その他の高点句・5点~4点
行く秋や音なく落ちる砂時計 ひでかず
草刈ってようやく庭の秋日和 博司
吾にもある残んの日々や秋うらら 篤
切りの無き妻の繰り言そぞろ寒 舞九 以上11月以降の予定
11月は以下の通り対面句会を行います。
日時:11月24日(日) 13:30~16:30
場所:本多公民館 会議室2
兼題「石蕗の花(つわのはな)」「木の葉髪」以上
- 俳句同好会(国分寺句会)の2024年9月例会が開催されました
俳句同好会(国分寺句会)の9月例会が開催されました
俳句同好会(国分寺句会)の2024年9月例会が通信句会方式で開催されました。
参加者は以下の14名でした。
出席者氏名;安齋篤史(俳号 安西 篤・講師)、赤池秀夫、内田博司、押山うた子、
梶原由紀、佐竹茂市郎、清水 元(星人)、眞宅康博(泉舟)、千原一延(延居)、中村憲一、野部明敬、森尾秀喜(ひでかず)、吉松峰夫(舞九)
以上14名
欠席;舘 外博(爽風)
投句数:3句 兼題:「台風」(傍題を含む)
講師選評 安西 篤(俳句結社「海原 KAIGEN」主宰)
《 》内は講師の添削
【特選】
身に沁むや自酌に余る一人膳 清水 星人
日常吟ながら完成度の高い一句。「身に沁む」という季語が、老いた一人の夕食の膳に沁み通るばかりの淋しさを呼ぶ。「自酌に余る」とは、一人酌む酒を持て余しつつ、秋の夜長をゆっくり時間をかけて味わっている。こういう時間を、無為というのか有為というのか、そのいずれともいえながら、一概に決めつけられない。人生はすべて何かにつながっていて、べつの視角からいえば、人生に起こるすべてのことの一半は、呼び掛けの声であり、何かを気づかせるように仕組まれているのではないか。自酌に余る杯を弄びながら、肺腑に沁みわたる思いに呼ばれている。
【並選】
(一位)
不知火や老い乗り越えて退院す 千原 延居
旧暦七月晦日から八月朔日の真夜中に、九州有明海や八代海に、突然見える光。おそらく漁火がもたらす異常現象だが、いかにも神秘的な光を放つ。退院に当たり、ふと老いの坂を乗り越えてもう一旗の思いとともに帰宅する。もう年齢のことなど忘れて。先のことなど「知らぬ」とばかり。(くれぐれもご無理なきように。)
(二位)
閉園の園児の庭に秋の声 藤木ひろみ
近頃の少子高齢化の進展から、保育園も次第に減少しつつある中、閉園となって園児の声も途絶えた保育園の庭に、秋の声が忍び寄る。それは物寂しい秋の気配。弾けるような園児の声が、どこかから聞こえて来はせぬかと耳を傾ける。中七で切って《閉園の園児の庭や秋の声》としたいがどうか。
(三位)
野分雲早きに歩み急かされて 押山うた子
野分雲は、風に乗って見る見る移動してゆく。その野分雲に急かされるように、私も足を速めてゆくという。まさに野分雲に誘われんばかりの歩の早め方だった。季節の変化に突き動かされた体の反応ともいえるもので、その体感がリアルに伝わってくる。
(四位)
梅もどき枯れて半端のない暑さ 内田 博司
「梅もどき」は、本来「梅擬」「落霜紅」ともいう落葉低木で、秋に赤い実が枝一杯について美しい。今年は、九月に入っても例年にない暑さが続き、暑熱に耐えかねて枯れてしまったという。「半端のない暑さ」とは、最近の若者言葉に乗った表現で、その乗り具合も今風の軽みをともなって合っている。
(五位)
野分起つ町に二本の摩天楼 吉松 舞九
野分は、台風ほどではないが、草木を吹き分ける程の強風を指す。「起つ」でも意味は通るが、歳時記では「野分立つ」と書くのが常識。その野分の中に、遠望できる二本の摩天楼があるという。掲句は、我が国の地方都市の風景のように見えるので、野分の季語から推すと、摩天楼はオーバーではないか。せいぜい《二本の高殿あり》と大和言葉で書き留めたい。
(六位)
秋澄むや水盤に葉の映り込む 梶原 由紀
秋の大気の澄みゆくにつれ、活け花の水盤に入れた水にその葉が映り、あたかも大気にも澄みまさるかのように水盤の水に映し出してゆく。作者の澄みゆく心境が、映し出されるかのようだ。
以上
講師(安西 篤)詠 3句
雷鳴の台風予告素手で受け
銀河乳色衛星一匹流離いぬ
野分晴戦火の地にもひと時を
8月句会 高点句
(同点の場合は番号順)
最高得点句・九点
秋澄むや水盤に葉の映り込む 梶原 由紀
その他の高点句・八点
身に沁むや自酌に余る一人膳 清水 星人
その他の高点句・六点~四点
手の平の蝉鳴き止みて果てるかな 藤木ひろみ
ようように慣れし補聴器秋の声 吉松 舞九
車座で食む巻き寿司や天高し 梶原 由紀
野分雲早きに歩み急かされて 押山うた子
登校の児等小走りに野分晴 清水 星人
よさこいや老女の鳴子サンバ調 森尾ひでかず
怒号飛ぶ工事現場や秋暑し 中村 憲一
以上
10月以降の予定
10月句会も講師・安西先生のご都合により引き続き通信句会となります。
投句締切:10月10日(木) 投句数:3句(幹事まで)
兼題「秋麗(あきうらら)」(「秋日和」「秋高し」などの関連季語も可)
以上
- 俳句同好会(国分寺句会)の8月例会が開催されました
俳句同好会(国分寺句会)の8月例会が開催されました
俳句同好会(国分寺句会)の2024年8月例会が8月24日(土)午後1時半より4時半まで本多公民館会議室2において開催されました。当日、曇り空の下を参集したのは以下の10名。欠席選句の4名を含めて14名参加の賑やかな句会となりました。
出席者氏名;安齋篤史(俳号 安西 篤・講師)、赤池秀夫、内田博司、押山うた子、
佐竹茂市郎、清水 元(星人)、眞宅康博(泉舟)、野部明敬、
森尾秀喜(ひでかず)、吉松峰夫(舞九)以上10名
欠席選句;千原一延(延居)、梶原由紀、中村憲一、藤木ひろみ 以上4名
欠席;舘 外博(爽風)
投句数:3句 兼題:「終戦記念日」(傍題を含む)
講師選評 安西 篤 《 》内は講師の添削
【特選】
薩摩芋炊き込み一人敗戦忌 押山うた子
戦中・戦後の食糧難時代、薩摩芋入り炊き込み粥は、しばしば常食となったもの。その体験者ならではの一句。それでも飢えを凌ぐ糧として貴重なものだった。敗戦忌にそれを思い返す度、忘れがちな歴史認識を噛みしめさせられる。ここであえて「一人」という限定は言わずもがな。事実としての共通認識こそ大切なもの。その着眼を買いたい。
《芋粥の炊き込みの日々敗戦忌》として頂く。
【並選】
(一位)
読本に墨の消し跡敗戦忌 吉松 舞九
たしかに戦時中の国語読本には、軍国主義的記述がなされており、戦後その不都合部分を墨で消して使用された時期がある。そんな読本でも戦後の物資不足下にあっては貴重品として使用されたものだ。これもまた特選句同様のリアルな体験で、戦後八十年の日常感を歴史認識に重ねている。しいて言うなら《読本の》とした方が、時間差感をはっきりさせるように思う。
(二位)
墓石を潤す水や墓洗ふ 藤木ひろみ
お盆の墓参りで墓石を洗うのは、我が国では慣わしとなっているものだ。その頃の墓石は、暑さに熱せられており、その天辺から水を掛けてやるといかにも気持ちよさそうに、音を立てて石肌に吸われてゆく。墓参者の「どう、さっぱりしたでしょう」という気分ありあり。
(三位)
新涼や父に倣いて拭く仏具 梶原 由紀
立秋も過ぎてそろそろ涼しさを感じる頃、仏壇の仏具を拭き清めるのは父の慣わしだった。それを受け継ぐように、今、仏具を拭いている。「父に倣いて」には、おそらく亡き父への懐かしさと共にある。その実感は、父の仕草をなぞることで、甦ってくる。
(四位)
妻病みて今はいとおし夏帽子 清水 星人
妻病む日々は、すでに長期に亘っているのだろう。他出することなく、自宅療養中の身では、夏帽子を着用することもなくなっている。かつて愛用した妻の夏帽子を、妻への思いとともにいとおしんでいる。「今はいとおし」に、元気なころの妻への思いとともに、その命長かれとの思いを込めているのだろう。
(五位)
蝉しぐれ妻の在所の法事かな 内田 博司
お盆の頃、妻の在所から、恒例の法事の案内が来た。ちょうど蝉しぐれの降りしきる頃なので、しばらく行ってないなと思いつつ、懐かしさとやれやれ億劫なという思いがないまぜになって、しばらく思案しているのだろう。蝉しぐれが、どうすると催促しているかのようだ。
(六位)
畏まり雑音聴きし終戦日 眞宅 泉舟
終戦時の玉音放送は、たしかに雑音の中で聞き取りにくかった。それだけに天皇の苦衷と恐れ多いという思いが交錯して、皆畏まって、少しでもその真意を受け止めようと、ラジオの前に膝をそろえたものだ。あの日の感動とも無力感とも思える呆然たる何かは、思い出すだに、やりきれない。これが歴史の真実というものなのだろう。、
(七位)
絹一丁たらい底から涼を挙げ 赤池 秀夫
「絹一丁」とは、絹漉し豆腐をたらいの底から掬い挙げるときの豆腐屋の掛声なのかもしれない。それがいかにも威勢よく、真夏の涼味を誘い出す。よくある景だが、季節感を言い当てている。
(八位)
駅前の長い信号残暑かな 佐竹茂市郎
駅前の踏切で、長い間信号開けを待っている。そのとき、つくづく今年の残暑は長く暑いなあと感じている。こういう日常の隙間に、季節感はまざまざと忍び寄るものだ。さりげない瞬間に訪れる季節の姿、またそれに感応する人間の気分のたゆたい。
(九位)
見舞いしは昨日の訃報夏の果 森尾ひでかず
句の文脈を正す例として挙げた。昨日見舞いしたばかりなのに、今日訃報に出会うとは、という思いを句にしたかったのだろう。「昨日の訃報」が事実に反する。題材としては、こういう無常迅速の思いはよくわかる。
《昨夜(きぞ)見舞い今日訃報とや夏の果》
【自句自解】
残暑陳者鼻毛むしりて送る日々 安西 篤
残暑見舞いの便りに、「当方無事消光」という決まり文句でなく、すこしおどけて、「鼻毛むしりて送る日々」とやってみた。その前に「残暑陳者」としかつめらしく挨拶してみせたのが、隠し味になっていると思うがどうだろう。
以上
8月句会 高点句
(同点の場合は順不同)
最高得点句・7点
読本の墨の消し跡敗戦忌 吉松 舞九
海山も静寂(しじま)覆いて終戦日 眞宅 泉舟
その他の高点句・5点
炎天の無人の街を迷いけり 梶原 由紀
薩摩芋炊き込み一人敗戦忌 押山うた子
墓参するふるさとも無き老いの秋 安西 篤
畏まり雑音聴きし終戦日 眞宅 泉舟
絹一丁たらい底から涼を挙げ 赤池 秀夫
(以下 略)
9月以降の予定
9月句会は通信句会となります。
投句締切:9月10日(火) 投句数:3句(幹事まで)
兼題「台風」(「野分」「二百十日」などの関連季語も可)
以上
- 俳句同好会(国分寺句会)の7月例会が開催されました。
俳句同好会(国分寺句会)2024年7月例会が通信句会形式で開催されました。
投句締切 7月10日(水)、選句締切 7月22日(月)
今月の兼題: 向日葵(ひまわり)
今月、通信句会に参加したのは以下の14名でした。
参加者氏名;安齋篤史(俳号 安西 篤・講師)、赤池秀夫、内田博司、押山雅子(うた子=投句のみ参加)、梶原由紀、佐竹茂市郎、清水 元(星人)、眞宅康博(泉舟)、千原一延(延居)、中村憲一、野部明敬、藤木ひろみ(選句のみ参加)、森尾秀喜(ひでかず)、吉松峰夫(舞九) 以上14名
欠席;舘 外博(爽風)
講師選評 安西 篤
【特選】
向日葵や老いの車を老いが押す 吉松 舞九
いわゆる老々介護の日々を詠んでいる句。向日葵には、「日車」という別称もある。掲句は、向日葵畑の道を車椅子に乗せて、連れ合いを散歩させている景だろう。高齢者の多い地方の中都市郊外でよく見かける景だ。久しぶりの晴れた外気に触れて、気持ちよさそうにしている老妻の顔を、満足げに眺めている作者の気持ちも晴れやかで、大輪の向日葵に揺さぶられているよう。中七下五の現実感が今さらのように切ない。
【並選】
(一位)
絵日記のひまわりの顔孫の笑み 清水 星人
孫の描いた絵日記の中に、大きなひまわりが描かれている。その絵の出来栄えに、孫が満足してにっこりしたのかも知れないし、或いは向日葵の絵の傍に、ひまわり同様の笑顔を見せている孫の顔が描き添えてあるのかもしれない。その受け取り方は読者に委ねられているが、どちらもありで、いいのではないか。
(二位)
向日葵の蜜採る亡夫(つま)の眼裏(まなうら)に 押山うた子
亡夫は生前、よく向日葵から蜜を採集していた。その時の喜々とした姿が、今も眼裏に浮かぶ。その思い出は、さらに幻のように、さまざまな連想を呼んで、亡夫との日々を走馬燈のように回想させてくれる。それは若き日の亡夫との甘やかな思い出をクローズアップさせながら。
(三位)
向日葵やゴッホの絵にも狂い咲き 千原 延居
地球猛暑の前書きがある。この前書きで句が生きた。向日葵はゴッホの名作の一つとされているが、あの絵には、どこか神経的鋭さを蔵しながらも、全体として温かみを感じさせる。ゴッホの向日葵は数点あるが、その中の赤い向日葵をこの場合想定したい。暑さに狂い咲きしたと見たことで、ゴッホの生涯が生かされたのだ。
(四位)
ひまわりや生徒ふたりの無人駅 梶原 由紀
過疎の私鉄の無人駅。駅舎の傍らにひまわりがひっそりと咲いている。通学する生徒が二人いて、電車の来るのを待っている。ひまわりだけが生徒たちを「行ってらっしゃい」と見送っているかのよう。淋しさの中に、向日葵の健気な姿が明るさを灯す。
(五位)
蚊帳の香の遠き記憶や母の歌 清水 星人
今はもう使われることもなくなった蚊帳も、昭和時代は必需品だった。夜、母の子守歌を聞きながら、蚊帳の香りの中で寝入った日々が忘れられない。香と歌の取り合わせがよく響き合う。
(六位)
ガラス戸の守宮の蹠撫でにけり 中村 憲一
夏の夜、ガラス戸に守宮がやってきて、しばらく貼りついていることがある。そのきれいな蹠を、ガラス戸の内側から撫でてやると、守宮はじっと動かないで、なすが儘に任せてくれる。何か通い合うものを感じたのだろう。その見立てがいい。
(七位)
ひまわりや種であそんだ昭和の日 内田 博司
この「昭和の日」は、祝日ではなくて昭和時代を含意していよう。子供の頃は、向日葵の種で五目並べをしたり数を数えたり、用が済んだら齧ってみたりして楽しんだもの。古き良き時代の必需品だった。
(八位)
白シャツや新たな駅で六十半ば 森尾ひでかず
句の焦点は加齢感にあるのだから、「還暦も過ぎて白シャツ新駅で」と逆転して捉えてはどうか。その年になって新たな生き方で行こうとする思いが焦点のはず。
(九位)
向日葵や道まっすくに開拓地 赤池 秀夫
向日葵が道しるべのように道端に立っている。あたかも、この道をまっすぐ行けば開拓地ですよとばかり。向日葵のしっかりした立ち姿に、信頼感も見えて。
(十位)
被災地の庭に向日葵独りたつ 眞宅 泉舟
津波の被災地で、家は跡形もなくなった庭に、向日葵の花がポツンと独り立っている。その姿に、ここに家ありきと云わんばかりの存在感がある。被災地の庭の設定がリアル。
以上
7月句会の高点句 (同点の場合は順不同)
最高得点句・十点
ガラス戸の蹠(あうら)撫でにけり 中村 憲一
その他の高点句・六点~四点
ひまわりや生徒ふたりの無人駅 梶原 由紀
半夏生能登の塗椀掌に包み 安西 篤
向日葵の蜜採る亡夫(つま)の眼裏(まなうら)に 押山うた子
向日葵や道真っすぐに開拓地 赤池 秀夫
蚊帳の香の遠き記憶や母の歌 清水 星人
向日葵の蒼天を背に毅然たり 眞宅 泉舟
向日葵や老いの車を老いが押す 吉松 舞九
国分寺句会 今後の予定
8月句会(対面句会)
日時: 8月24日(土)午後1時半~4時半
場所: 本多公民館 会議室2
以上
- 俳句同好会(国分寺句会)の6月例会が開催されました。
俳句同好会(国分寺句会)の6月例会が開催されました。
俳句同好会(国分寺句会)6月例会が6月22日午後1時半より4時半まで本多公民館会議室2において開催されました。
当日、小雨の中を参集したのは以下の11名。欠席選句の3名を含めて14名参加の賑やかな句会となりました。
出席者氏名;安齋篤史(俳号 安西 篤・講師)、赤池秀夫、内田博司、押山うた子、梶原由紀、佐竹茂市郎、清水 元(星人)、眞宅康博(泉舟)、
野部明敬、森尾秀喜(ひでかず)、吉松峰夫(舞九)以上11名
欠席選句;千原一延(延居)、中村憲一、藤木ひろみ 以上3名
欠席;舘 外博(爽風)講師選評 安西 篤
【特選】
父の日の息子の嫁の電話かな 中村 憲一
父の日に、遠く離れ暮らす息子の嫁から、必ず様子を尋ねる電話を貰う。その心遣いをいつも嬉しく有難く感じている。善き嫁を得た息子の幸福感を、父の日にしみじみと思う。これも幸せな老後の幸福感の一つ。この父は、或いはすでに妻たる母を亡くしているのかもしれない。余生に残る幸福感を大切に思う心境が見えてくる。【並選】
(一位)
父の日や病む妻笑顔のプレゼント 千原 延居
父の日の当日、父の妻たる母は病床にあって、父になにもしてやれない思いを抱え、せめて精一杯の笑顔をプレゼントする。父にとっては何よりのプレゼントで、早く治ってくれれば、それ以上のプレゼントはないとの思いを込めている。(二位)
父の日や娘を背なに走った日 清水 星人
父の日に成人した娘から、心を込めたプレゼントを貰った。そういえば、娘の幼き日、深夜急に熱を出し、その娘を背負って医者に駆けこんだことを思い出す。あの頃の娘が、よくぞここまで成長してくれたものよとの思い。(三位)
手酌酒普段通りの父の日よ 赤池 秀夫
父の日と言っても、母の日とは違い、ことさらな祝い事はないのが普通。父たる吾は、せいぜいいつも通りの手酌酒を独り酌んでいる。とはいえさびしさよりも、普段通りの無事の日を迎えた安堵感が先立つ。(四位)
父の日や父思い出す煙草盆 内田 博司
父の日に、父が愛用した煙草盆取り出して、亡き父を偲んでいる。父への回想を父の手触り感の籠る煙草盆にふれてみる。そこに父との膚接感を思い出しながら。(五位)
病床の父の日の背掻きにけり 森尾ひでかず
これも亡き父への回想だろう。病床にあった父から、背を掻いてくれといわれて、掻いてやった日のことを想い出す。父の背の温もり、肌ざわりに在りし日の父が甦る。今、自分にもあの頃の背の痒さを覚えながら。(六位)
祝われぬ父の日暮れてまた一献 眞宅 泉舟
母の日と異なり、父の日となると誰も祝ってはくれない。仕方なく屋台の独酌で、独り祝うでもなく、まあいいかとばかり飲んでいる。そんな時の酒は、一杯いっぱいもう一杯とばかり、意外に深くなるものだ。(七位)
父の日や寡黙な父が礼を言ふ 佐竹茂市郎
父の日に、ふと思いついて、祝いのささやかな夕食を家族で共にする。日頃、寡黙な父が、珍しく皆に礼を言った。本当は淋しかったに違いない。言葉少なの挨拶だったが、今思えば心に染みるものがあった。(八位)
父の日の父の写真は若きまま 吉松 舞九
亡き父の思い出の写真だろう。晩年のものはほとんどなくて、若き日の写真だけが残っている。それはいつまでも、若き日のままの父像として胸に刻まれる。なんとそこに、若き日の自分の姿があった。(九位)
父の日や家庭麻雀賑ふて 野部 明敬
これも父の日の思い出の句。父在りし日、よく家庭麻雀をやつたなあと思う。あの時の上機嫌な父と一家団欒の温もりが、今も思い出される。(十位)
父の日や父の膝恋う老いし今 押山うた子
父の日に、亡き父がよく幼い頃の自分を膝の上に乗せて、あやしたり、お話を聴かせたりしてくれたりしたことを思い出す。そういえば自分はお父さんっ子だった。あの時の父の膝は、私にとっての楽しい小宇宙だつた。老いた今にして、あの頃の父の膝がたまらなく恋しい。【講師よりの一言】
今回の兼題作は、いずれも実感が籠っていて、順位をつけ難かった。どれも甲たり難く、乙たり難い作であったと思っている。やはり生活実感の迫力ならではもの。6月句会 高点句
(同点の場合は順不同)
最高得点句・七点
父の日や病む妻笑顔のプレゼント 千原 延居
その他の高点句・六点
父の日や寡黙な父が礼を言ふ 佐竹茂市郎
父の日や父想い出す煙草盆 内田 博司
父の日や戯れ描く父の皺 森尾ひでかず
父の日や今朝も変わらぬ菜っ葉汁 眞宅 泉舟
初鰹いつしか戻る国訛り 吉松 舞九
枇杷熟るる南海トラフ眠る浜 吉松 舞九
その他の高点句・五点~四点
父の日の息子の嫁の電話かな 中村 憲一
父の日や娘を背なに走った日 清水 星人
祝われぬ父の日暮れてまた一献 眞宅 泉舟
手酌酒普段通りの父の日よ 赤池 秀夫
父の日や語らぬままの父恋し 内田 博司
病床の父の日の背掻きにけり 森尾ひでかず
夕焼けの影絵の中に父がいて 安齋 篤
父の日や贋端渓を洗い干す 赤池 秀夫
(以下 略)来月以降の予定
7月句会(通信句会)
投句締切: 7月10日(水) 投句数:3句8月句会(対面句会)
日時: 8月24日(土)午後1時30分~4時30分
句会場: 本多公民館 会議室2以上
- 讃華会予定
讃華会(山岸):3月19日(火)開催、8名、次回は4月16日(火)17時から華琳で行います。
- 俳句で楽しむ自粛生活 (国分寺句会「テレワーク句会」活動報告)
俳句で楽しむ自粛生活
(国分寺句会「テレワーク句会」活動報告)初日の出 光冠(コロナ)真浴びに 受け止めて 安西 篤
国分寺稲門会の俳句同好会「国分寺句会」は発足して七回目の新年を迎えました。
上記の句は、今年の新年句会に出された講師の安西 篤先生の作品です。昨年末以来、東京都の新型コロナ感染者数は日に日に増え続け、新年早々、二度目の緊急事態宣言が出されるという落ち着かない年末年始でした。
「コロナ」は今や「新型コロナウイルス(COVID-19)」の代名詞となりつつありますが、本来は日食の時に肉眼で見ることができる太陽の光冠のことで、「冠」を意味するラテン語が語源です。安西先生の句には、今や世界に猛威を振るうコロナ禍に立ち向かう決意がこめられているように受け取れないでしょうか。「国分寺句会」は、国分寺稲門会の同好会の中でも比較的新しく、平成26年11月に発足しました。コロナ禍で活動を控えざるをえない同好会が大部分を占める国分寺稲門会のなかで、パソコンやファックスなどを使った在宅通信句会の形式で毎月欠かさず句会を開いて活動を続けております。名付けて「テレワーク句会」。始まったのが昨年3月でしたので、今年の2月句会で丁度1年になります。
講師の安西 篤先生には、国分寺稲門会のご縁で昨年5月からご指導をいただいております。テレワーク句会が始まっておりましたので、句会で直接ご指導を受ける機会がまだないのは残念なことです。
安西先生は、平成30年に亡くなられた金子兜太先生のあとを引き継いで、現在、結社「海原(かいげん)」主宰として多忙極まる毎日にもかかわらず、毎月テレワーク句会のために懇切な選評を寄せてくださっております。
会員からは「先生の温かい選評を楽しみに今後も投句を続けさせていただきます」「先生の選評を拝読すると、映像を見ているかのように情景が浮かび、自分では読み解けなかった部分に気付かされることが多い」などの感謝の言葉が寄せられています。
「テレワーク句会では、句会でのやり取りが活字で表現されるので、自粛生活の有り余る時間を使ってじっくりと皆さんの句を選んだり、先生の講評、会員の選評を拝見して俳句の深みを知ることができる。これはテレワーク句会のプラスの部分ではないだろうか」というご意見もありました。まさにその通りではないかと思います。現在「テレワーク句会」は次のようなスケジュールで行なわれています。
毎月 1日 句会の案内 (当月のお題が知らされます)
10日 投句締切 (一人3句をパソコンやファックスで幹事に送付)
12日 投句一覧表の送付(作者名を伏せた一覧表が幹事から送られてくる)
20日 選句締切 (特選1句 並選4句を選んで幹事に送る。
特選には各人の選評をつける。
講師は特選1句 並選6句で、全選句に選評をつける)
22日 選句結果一覧表と講師・会員の選評一覧表の送付
(作品ごとの得点表示)毎月同じことの繰り返しですので、そのうちに飽きが来るのではないかと思われるかもしれませんが、例えば春の場合、2月―初春、3月-仲春、4月-晩春と季節が移り、咲く花も、2月―梅、3月-桃、4月-桜、と変わってきて、季節の変化を追うのに忙しく、退屈する暇もありません。
では、昨年秋・冬のテレワーク句会の作品から「一人一句」をご紹介いたします。国分寺句会 近詠一人一句 (平成2年 秋・冬の部)
雑炊をすすり非戦を胸深く 黒川 清虚(国分寺)
水郷の街の句碑読む冬隣 赤池 秀夫(国分寺)
湯豆腐や人恋しさとぐいのみと 内田 博司(国分寺)
母在りし遠き昭和の湯婆(たんぽ)かな 清水 星人(国分寺)
暮の秋母の背中の丸みたる 眞宅 泉舟(国分寺)
神の旅御籤に吉の少し増え 舘 爽風(国分寺)
妻癒えぬはや秋茄子の味噌いため 千原 延居(国分寺)
コロナ禍の地球咽せるや冬隣 野部 明敬(国分寺)
真砂女似の女将(おかみ)の捌く寒鮃 吉松 舞九(国分寺)
鏡面に塵なき朝や冬隣 梶原 由紀(国分寺)
混沌はそのままにして小春空 大畠 薫 (清瀬)
染みのある句帳の古び冬隣 押山うた子(武蔵村山)
湯婆(ゆたんぽ)の温もり探す足四本 佐竹茂市郎(立川)
冬の日の憑かれたように手を洗う 中村 憲一(練馬)
樽柿の張りつめし皮朱に満ちて 藤木ひろみ(中野)◆講師
憂国忌皇帝ダリア首もたげ 安西 篤(国分寺)(吉松峰夫 記)
- 国分寺句会新年会 (2018年1月20日(土))
1月20日(土)今年の初句会が12時半から本多公民館で開かれました。
本句会が第一回の句会を開いたのは平成26年の11月。今回は4度目の新年となりました。
穏やかな冬晴の当日、集まった句友は講師の細見逍子先生を含めて13名、欠席投句が1名、合計14名と盛況。投句は例月通り1人3句ですが、初句会の特例として、選句は7句(講師の選句は10句)の大盤振る舞い。机の上には正月とあって、公民館一階の食堂特製の幕の内弁当、会員有志の差し入れの飲み物が並ぶ。幹事長の黒川清虚さんの音頭で、この一年の健吟を祈って乾杯。
食事のあとは、いつも通り投句・選句・講評と進み、高点句にはお年玉の天・地・人各賞が細見先生から授与されました。この日の高点句と作者は下記の通り。天賞 島影の濃くなりゆきぬ初茜 千原 延居 (国分寺)
地賞 日溜りを独り占めして初電車 吉松 舞九 (国分寺)
人賞 去年今年八十路の瀬戸の無分別 野部 明敬 (国分寺)
当日参加の皆さんそれぞれの高点句を一人一句として下にまとめました。(吉松舞九・記)
新年句会一人一句 (天・地・人受賞者については本文参照)
悪しきこと良きことも捨つ古日記 黒川 清虚 (国分寺)
獺祭を論じ一瓶大旦 中村 憲一 (豊島)
いつになく多弁な友や暖炉燃ゆ 舘 爽風 (国分寺)
初東風や五臓六腑に陽をもらふ 梶原 由紀 (国分寺)
老体の心身に添ふ小豆粥 押山うた子 (武蔵村山)
七福神年々増ゆる願ひ事 佐竹茂市郎 (立川)
風花やたんの太助の城下町 内田 博司 (国分寺)
子等帰る名残りの重箱四日かな 大畠 薫 (清瀬)
増上寺鐘鳴り渡る初詣 藤木ひろみ (中野)
爺(ぢぢ)と呼ぶ愛しき寝息除夜の鐘 清水 星人 (国分寺)
神主の嬰(やや)のやは肌初ゑくぼ 細見 逍子 (清瀬)
- 国分寺句会 初句会 (2016年1月16日)
1月16日(土)今年の初句会が12時半から本多公民館で開かれました。
本句会が第一回の句会を開いたのは一昨年の11月。今回は二度目の新年となりました。
出席は、講師の細見逍子先生を含めて12名、欠席投句が2名、合計14名と盛況。現在中国・安徽省合肥に長期出張中の赤池秀夫前幹事は、正月休みで一時帰国中でしたが、仕事の都合で句会当日の空の便で出発。 久々の句会出席が叶わなかったのは残念でした。
初句会の特例で投句は3句、選句は5句。講師の講評もなく、皆さんリラックスの様子。
机の上には正月とあって、公民館一階の食堂特製の幕の内弁当がならぶ。
幹事長の黒川清虚さんの開会の言葉、細見先生の年頭のご挨拶のあとビールで乾杯。
この一年の健吟を祈って乾杯の音頭を取るのは最年長の千原延居さん。
食事のあとは、いつも通り投句・選句と進み、高点句にはお年玉の天・地・人各賞が細見先生から授与されました。この日の高点句と作者は下記の通り。
天賞 幸せは小さきこそ良し福寿草 舘 爽風(国分寺)
地賞 初神楽聞こゆる空や男坂 吉松舞九(国分寺)
人賞 初春や清正井(きよまさいど)の滾々(こんこん)と 中村憲一(豊島)
人賞 もみじの手しかと合はせし初詣 黒川清虚(国分寺)
人賞 夕映えに稜線あをき初秩父 大畠 薫(清瀬)
句会の最後に、参加者全員の自薦一句を選びお開きとなりました。
一人一句についてはこちらをご覧ください。
(吉松舞九・記) - 国分寺句会(2015年7月18日)
7月度の句会を開催しました。本多公民館にて。
次回は9月開催です。