町歩きの会

  • 町歩きの会からの開催報告です。

    土方歳三のふるさとと新選組祭りの高幡不動

    2024年5月11日(土)

    快晴、27度を超える暑さの中、町歩きの会が開催されました。10時に多摩モノレール万願寺駅に集合。本日早朝、中央線に人身事故発生、運休の後・大幅にダイヤが乱れましたが何とか全員集合、日置さんから資料の配布、簡単なスケジュールガイドを受けた後、土方歳三資料館に向かいました。おりしも本日が彼の命日(150回忌)、全国から土方ファンが集まり園内は老若男女で長蛇の列、八百円の入場料を払って炎天下の下、園内にて並ぶも全く前に進まず。突如、有難くも同時企画の武蔵野稲門会の面々が挨拶に来られ(彼らは時間がなく見学は断念)、お互いの健闘を誓いました。40分以上かけてやっと入場。靴を脱いで資料室に入りました。土方の遺品(偑刀・和泉守兼定)や女性館長さんからの解説を聞き、郷土の英雄を偲びました。誠の旗と土方の胸像の前で記念写真を済ませ、石田寺(セキデンジ)に到着。門前にてメンバー全員集合し、居合わせた土方フリーク女子にシャッターを切ってもらいました。樹齢400年を超える茅の大木の下、記念碑や墓所を参拝し寺を退出。とうかん森を経由し、予約してあった「夢庵」に11:50に到着、個室にて生ビールでのどを潤し、深川めし定食やてんぷらそばでお腹を満たしました。60分ほど過ごしチェックアウトしましたが、多くの客が食事を求め待機中、一同、個室を予約してくれた日置さんに感謝しました。そのあとは真言宗南養寺を参拝、木陰にてしばらく休憩。次の目的地である高幡不動尊までは徒歩で2キロの行程だが、無理はできぬと万願寺からモノレールで次の駅=高幡不動で降車、駅前を高畑不動尊に向かいました。新選組祭りとあって大勢の見物客が境内を埋め尽くしていました。ここで解散しましょうと言いつつも五重塔の前で「志士選抜コンテスト」が開始されるのを聞き、暫時見学しましが、さすがに直射日光には勝てず退所。多摩モノレール高幡不動駅から乗車し立川南口駅にて下車。15:30に無事解散となりました。およそ1万1千歩。

    参加者11名

    幹事:日置、副幹事:下山。吉松、眞宅、野部、宮坂、島崎、廣田、村山、手塚、吉和  

                                       (下山:記) 

                                       

  • 令和5年秋「町歩きの会」開催報告

    <日野の自然と新選組のふるさとを訪ねて>

    昨夜までの雨も止んで、秋本番の10月10日(火)約1年ぶりの町歩きの会を開催した。午前10時に先発組8人はJR豊田駅を出発、水と緑の公園を散策、黒川清流公園で小休憩、その後は新撰組ゆかりの地へ入った。佐藤彦五郎の墓所がある大昌寺を参拝、昼食は近藤勇が愛した血梅にちなんだそば処「ちばい」に到着、後発組を待った。全員揃ったところで、先ずはビールにて乾杯!おいしいそばに海老天ぷら、高野豆腐に里芋の煮物を満喫し歓談した。店主の谷さんから新選組や土方歳三の逸話など、興味深いお話をしていただいた。その後は井上源三郎資料館を、休館日にも拘わらず、特別に開館していただき5代目当主の井上さんから新選組の誕生当時の話を詳しくお聞きし館内両面に陳列された資料に目を遣った。その後はJR日野駅近くの宝泉寺、八坂神社を参拝。午後三時に解散となった。行程:約12000歩。 幹事:日置、下山、参加(順不同)宮坂、中島、廣田修身、島崎、山岸、浅野、中山夫妻、眞宅、下山夫人、合計12名。                  (文責:下山)

  • 町歩きの会 2022年11月22日

     町歩きの会は年 2回、春と秋に開催しています。今年の春は新小金井から府中市美術館まで歩きました。この秋は新宿から四谷まで出かけました。11月22日、秋晴れの好天に恵まれ、江戸時代を偲びつつ、神社、仏閣等をまわりました。徳川家康が入府した年が1590年。そこから江戸の大都市計画が始まりました。江戸の人口は100万人。武士が60万人いたと言われています。今回はこの壮大な計画の一部を見る旅になりました。

    花園稲荷神社にて

     最初に花園稲荷神社を訪れ、この神社の来歴を学び、多くの芸能人が寄進しているこの神社のなかにある芸能浅間神社にも行き、寄進している多くの芸能人の中に知っている人の名前を見つけながらお参りもして来ました。
     新宿は甲州街道の一番目の宿場である内藤新宿として栄えていました。ここの宿場では飯盛り女という遊女が働き、死ぬと身ぐるみをはぎ取られ、寺に投げ込まれたその数は数千人もいたそうです。この地の投げ込み寺と言われていた成覚寺を見学し、隣の正受院、江戸の六地蔵の一つが鎮座されている信州高遠内藤藩の菩提寺でもある太宗寺もゆっくりと見学しました。これで町歩きの会で、現存の江戸六地蔵すべてを廻ることができたことになります。街道の入口に旅の安全を祈って、旅人が手を合わせていた姿を想像したり、閻魔大王の像を見て、この方に死後お目にかからないことを祈りつつ、貴重な江戸の水を神田上水と共に支えた玉川上水の終点並びに甲州街道に設置された簡易な関所であった四谷大木戸跡を見学し、昼食会場の「れんげ食堂」に12時過ぎに到着しました。
     この店は中国福健省出身の夫婦が経営しており、コロナ前は、西早稲田でも店をやっていたそうです。ここでは、中華料理のコ-ス料理に舌鼓を打ち、飲み物も少々いただき、和気藹々の楽しい懇親の時間を持てました。

     

    須賀神社にて

     午後からは消防博物館、お岩稲荷田宮神社,陽運寺、36歌仙で有名な須賀神社を訪れ、最後に伊賀忍者の頭であった服部半蔵の墓のある西念寺を見学し、ゴ―ルである四谷駅に午後4時前に着きました。15名の参加者の皆様お疲れ様でした。
     町歩きの会は、その土地の歴史、文化を学びつつ、歩くという基本的な運動もできる楽しい会です。多くの方のご参加をお待ちしております。(記:中村俊雄)


     

  • 町歩きの会 2022年5月25日

    町歩きの会―2022年5月25日 参加者16名(内訳:男性13名、女性3名)

     

    今年の第1回目の会は5月25日(水)に行いました。この日は、天気には恵まれましたが,気温が27度という蒸し暑い日になってしまいました。

    行程は西武是政線新小金井駅から、府中市美術館まで10km程度の道を歩きました。


    先ず、国際基督教大学横の旧石器時代後期の遺跡説明板を見ながら、武蔵野台地の南縁をなす国分寺崖線に沿った豊かな段丘上に縄文人が暮らしを想像することができました。

    その後、野川公園内の自然観察園を見学。木々の緑のなかを歩きながら、小鳥のさえずりに耳をすませながら、森林浴気分を楽しみました。

    次に、新選組局長近藤勇の墓所のある龍源寺と勇の実家を訪れました。勇は板橋で斬首刑をうけ、冥界に旅立ちました。享年35歳。辞世の句「孤軍援絶作囚俘 顧念君悤涙流 以下略」

    勇の実家は敷地が2,000坪以上有した富農であり、勇は宮川久次郎の三男(幼名勝五郎)として生まれ、15歳の時、2人の兄と一緒に、天然理心流近藤周助に入門し、その後、子供がいない近藤家の養子となりました。勇が亡くなった時に義兄弟の契りを結んでいた日野の佐藤彦五郎はこの句を作り勇の死を惜しみました。「鬼百合や 花なき夏を 散りいそぐ」。

    昼は多摩駅近くの中華レストラン「紅」で食事とアルコ-ルを楽しみ、参加者の皆様と親睦をはかることができました。食事の量は相当なものでしたが、先輩諸氏の健啖ぶりに驚かされました。

    午後からは、有名人が多く眠る都立霊園としては最大規模の多摩墓地を廻りました。各自、それぞれが、墓苑の案内図を片手に詣りたい所に行くようにしました。ご自分の家の墓所に行かれた人、有名人の墓を廻られた方もおられました。最近、樹木葬の場所も整備されていました。今の時代を表していると納得。

    多摩墓地から浅間山(標高80m)をゆっくりと登りました。気候温暖化の影響か、残念ながら咲いている筈の「ムサシノキスゲ」は既に花が散った後でした。

    浅間山一帯は、1352年に小金井金井原・府中人見原にかけて新田義貞次男義興と三男義宗を中心とする南朝方と北朝方の足利尊氏が全面衝突になった所謂武蔵野合戦の地域に含まれています。この山の頂上には、これを記念して建てられた説明板があります。この戦いを有利に進めていた新田兄弟が、尊氏を徹底的に追い込んで勝利していれば、その後の日本はどうなっただろうかと思いを馳せました。

    町歩き最後の場所としまして、府中市美術館の「ただいま やさしき明治」の絵画展を鑑賞しました。来日画家と日本人画家が描いた明治時代の日本。英国と日本の画家併せて約77名の作品。穏やかなるやさしさとほほえみをたたえる本当の明治を味わえたような気がしました。4時過ぎ無事解散。参加者の皆様お疲れ様でした。

    次回は秋口に新宿から四谷まで歩いてみる計画をしています。

    (中村俊雄 記)

     


     

  • 町歩きの会「小金井散策」

    町歩きの会「小金井散策」

    国分寺稲門会の同好会活動は、新型コロナウイルス蔓延により、昨年の3月から中止に追い込まれていましたが、感染者数も大幅に減少し、規制も徐々に緩和されました結果、今回、町歩きの会の活動再開の運びとなりました。
    再開後は先ず、近場から実施することにし、今回、お隣の町、小金井を廻りました。
    開催日の11月6日(土)は、24名の参加者の皆様の日ごろの善行のお陰で絶好の秋晴れに恵まれました。会員のご家族4人の御夫人も参加され、稲門会活動の輪がご家族にまで拡がっているのは嬉しいかぎりです。

    見学は本町2丁目の庚申塔、武蔵野の新田開発の大恩人川崎平右衛門の供養塔江戸東京たてもの園等を午前中終えました。
    昼食はそば処「田吾作」で和気藹々のなか、久しぶりに会員の皆様と大人数で食事をし、ビールも楽しみました。
    午後は、下村湖人ゆかりの浴恩館、国分寺崖線下のはけの森美術の森緑地の湧水、大岡昇平が『武蔵野夫人』を執筆時に寄寓していた富永家、そこにつながる昼も薄暗いムジナ坂小金井神社金蔵院等を訪れ、最後に武蔵小金井駅近くの黄金の水(六地蔵)で喉をうるおし、無事武蔵小金井駅に戻って来ました。

    小金井の歴史を浴恩館の中の文化財センター見学を通して知る機会にも得ました。また、国分寺崖線の構造、湧水の類型も確認できました。10km弱歩き、多少疲れましたが久しぶりの町歩きを無事終えることができました。参加者の皆様、大変お疲れ様でした!

    (中村俊雄記)


     

  • 屋外での同好会活動再開のお知らせ

    緊急事態宣言およびまん延防止等重点措置の解除により、屋外での同好会活動を再開致します。
    下記の通りご連絡いたします。

    ① 町歩きの会
    11月6日(土) 小金井周辺
     幹事:日置(kenhioki-isd.com@jcom.homene.jp

    ② ゴルフ同好会
    11月16日(火) 青梅ゴルフ倶楽部
     幹事:松村(tomon.matsumura@gmail.com)

    ③ ハイキング同好会
    11月27日(土) 羽村周辺
     幹事:中島(メールdb6v7p@bma.biglobe.ne.jp


     

  • 町歩きの会「小金井を廻る」ご案内、2021年11月

    町歩きの会「小金井を廻る」ご案内

    新型コロナウイルス感染問題のため、1年半ほど実施できない状況が続いておりましたが、10月1日から緊急事態の解除が決まり、町歩きの会も感染対策を取った上、近場の町歩きから再開することにいたしました。

    今回は、国分寺の隣町の小金井市を廻ってみたいと思います。小金井市と水との歴史に思いを馳せながら、午前中は真蔵院や小金井公園を廻り、午後は下村湖人の『次郎物語』執筆の場所「浴恩館」を訪れ、小金井の文化財も鑑賞したいと思います。その後、大岡昇平の『武蔵野夫人』を彷彿させるムジナ坂も登ってみたいと思います。最後に野川沿いの路を歩きながら、西念寺、金蔵院を訪れ、最後に黄金の水(宝永六地蔵)でのどを潤し、武蔵小金井駅ゴールを目指したいと思います。

    観光スポットは多々あり、すべてを紹介させていただきたいところですが、時間の制約上、その中で厳選しました場所を重点的に回りたいと思います。小金井の新田開発の歴史、桜並木の話し、神社・仏閣も見学し、市立はけの森美術館の裏庭竹林から流れ出る湧水も見学したいと思います。なお、行程は多少坂道があります。全行程は7km。所要時間は4時間半程度。休憩時間は適時とるようにいたします。

             記

    1,日時:11月 6日(土 )国分寺駅改札口9:30分集合            

    2. 散策コース
    スタート:国分寺駅―武蔵小金井駅―真蔵院(古代ハス)―川崎平右衛門供養塔―江戸東京たてもの園―そば処「田吾作」―浴恩館―市立はけの森美術館裏湧水―ムジナ坂(大岡昇平)-小金井神社―小金井小次郎の墓地・庚申塔―金蔵院―黄金の水-ゴ-ル武蔵小金井駅(解散:予定4時頃)、

    3.費用:交通費¥280,見学料¥200、食事代3,500円、合計4,000円程度

    4. お申込 10月26日(火)までに下記幹事に連絡下さい。
      日置(090-9029-9683, kenhioki-isd.com@jcom.homene.jp)
      中村(090-6245-4968, rsg88285@nifty.com)

     


     

  • 町歩きの会:深川探訪

    町歩きの会:深川探訪(2019年11月26日)

    秋の町歩きの会は、2019年11月26日に15名が参加して開催しました。
    今回、歩いた深川(江東区)は、隅田川河口部の東岸地域一帯をさす広域地名です。
    徳川家康の江戸入府当時、この地域には大きな付洲・寄洲が形成され、干潟や萱野が広がっていたそうです。家康は摂津国(大阪府)出身の地侍:深川八郎右衛門にこの地の開拓を命じ、彼の姓をとって深川村と名づけました。

    我々の町歩きは八郎右衛門が創建しました深川神明宮の見学からスタ-トしました。この日の気温は前日より10℃以上低く、午前中は霧雨が降っていたあいにくの天気でしたが、地下鉄森下駅から門前仲町駅まで10km弱を参加者15人全員が走破できました。
    芭蕉記念館―横綱大鵬の大嶽部屋等の相撲部屋街―松平定信の墓所がある霊巖寺―江戸時代の庶民の生活と町並みを再現している深川江戸資料館―豪商紀伊国屋文左衛門の別邸であったと伝わる清澄公園を見学しました。
    その後、昼食会場である長寿庵蕎匠へ。そこでは、町歩きの楽しみのひとつのその土地の名物料理、昔は深川の漁師に好まれた賄い飯「深川めし」を食し、その他、一品料理を味わい、美酒にも酔いしれ、和気藹々の時間を過ごすことができました。
    昼食後は雨が止み、食後の運動よろしく、法乗院の深川ゑんま堂の巨大な閻魔様を観覧、深川のお不動さんとして名高い深川不動堂をまわり、最終目的地である江戸最大の八幡宮であると共に江戸大相撲の発祥地:富岡八幡宮を見学。境内には相撲関係の横綱力士碑、大関力士碑等がありじっくり見学の時間もとれました。
    その後、門前仲町で解散し、無事今年の町歩きの会は終了しました。
    往時の江戸を偲ぶ町歩きの一日でした。
    最後に芭蕉が陸奥のへの俳諧行脚を志した時の句を記します。「草の戸も住み替わる代ぞ雛の家」

    (中村俊雄 記)

     


     

  • 町歩きの会(2019年7月3日)

    旧東海道を歩く(北品川→大森)(2019年7月3日)

    国分寺稲門会「町歩きの会」は東京近郊をフィールドに下記の3つが主な目的である。

    • 歩く、健康維持/増進、 
    • 町の歴史・文化を知る、
    • 町の名物・美味しい食物・旨い酒を味う。


    令和元年7月3日(水)9時半に国分寺駅集合。
    北品川から大森までの18,000歩・旧東海道を歩いた。梅雨空続きで気を揉んだが19人の日頃の精進のお蔭か、絶好の散策日和となった。

    先ずは徳川家光と沢庵和尚の問答で有名な「問答河岸跡」、幕末に勤皇志士が密談をこらした「土蔵相模跡」、明治天皇が東京に下って来られた時に宿泊された「品川本陣跡」、「一心寺、法禅寺、荏原神社、江戸六地蔵の品川寺」などを見物。
    昼食は創業安政三年の老舗「そば会席 吉田屋」で蕎麦と銘酒を堪能した。
    食後は「鈴ヶ森刑場跡、品川歴史館、大森貝塚碑」等を見学し、16:30過ぎ、無事ゴ―ルの大森駅に着いた。
    昔の道幅が残る旧東海道、懐かしさが感じられる町品川を堪能した日帰りの旅でした。
    品川区の観光エリアとしてよく整備された街並みでした。

    参加者:浅野道博、大橋忠弘、小田切三千代、小林 昭、島崎幸男、清水 元、下山 登、眞宅康博、陶久 清、染谷嘉男、中島巌、中村俊雄、中山斌雄、中山利子、野部明敬、日置憲二郎、増本千明、宮坂尚利、山崎重義

    (中村俊雄 記)

    写真集(クリックすると拡大します)


     

  • 町歩きの会(2018年11月19日)

    町歩きの会:護国寺・雑司ヶ谷霊園・面影橋・早稲田大学演劇博物館、同歴史館

    今秋は11月19日(月)に都区内文京区・豊島区・新宿区の寺社、著名人のお墓をめぐり、太田道灌ゆかりの山吹の里にも足を延ばしました。その後、甘泉園公園、早稲田大学演劇博物館経由、早稲田歴史館を見学し、館内にある珈琲研究会サークルの喫茶店でゆったりとした気分でお茶を飲み,解散となりました。

    国分寺駅9時30分集合、先ず有楽町線護国寺駅へ向かい、3番出口から地上に出ると、護国寺の仁王門の前に出ました。本日のハイライト・護国寺は我々早稲田マンが敬愛してやまない大隈重信候の墓所があり、この日は諸江氏のお取り計らいにより,墓所の門を開けていただき、香を焚き、榊を捧げ全員で参拝し、墓前で参加者全員の記念写真を撮りました。
    因みに大隈侯のご葬儀は大正11年日比谷公園にて国民葬で行われ、30万人もの会葬者が参列した由。同じ護国寺に眠って居る山県有朋の葬儀は同じ日比谷公園で大隈侯の数か月後に国葬で執り行われたが、その葬儀「幄(あく)舎(しゃ)の中にガラウンドの寂しさ」と東京日日新聞が報じていたとのこと。

    雑司ヶ谷霊園では夏目漱石、小泉八雲、ジョン万次郎、東郷青児、竹久夢二、永井荷風、泉鏡花の墓所と早稲田と関係の深い島村抱月、安倍磯雄、東儀鉄笛らのお墓へ参り、先人のご功績に思いを馳せた。

    雑司が谷鬼子母神裏の割烹「大倉」での食事となり、海の幸、山の幸を盛った豪華な料理でアルコ-ルの消費量にも拍車がかかり、冷酒、お燗、ビ-ル等で大いに盛り上がり、和気藹藹とした宴会になり、楽しいひとときを過ごしました。

    鬼子母神前から面影橋まで都電で移動。面影橋では大田道灌が鷹狩りの際、俄か雨に遭い、雨具の蓑を借りようと農家に立ち寄った時、そこの娘が一枝の山吹の花を差し出した、道灌は古歌「七重八重花は咲けども山吹の実のひとつだになきぞ悲しき」の意味が分からず、あとで自分の無学を恥じ、それを契機に学問・歌道に励んだとのこと。教訓を得た思いになりました。

    最後に早稲田大学演劇博物館、同歴史館を見学しました。歴史館は演劇博物館、会津八一記念博物館に続いて、今年の3月に開館した第三のミュ―ジアムです。早稲田の歴史関係の資料、未来の大学の全貌を展示しており大いに勉強になりました。

    朝から天候が気になりましたが、幸いにして一日降雨もなく、時たま陽も射し、町歩きには恰好の晩秋の一日、8㎞ぐらい歩きました。歴史館での解散時には雨がちらつき始めたが、全員無事帰路に着きました。参加者は15人で、5人のご夫人もお出でいただきました。

    (文責:中村俊雄)


     

  • 町歩きの会<巣鴨地区探訪>(2018年5月16日(水))

    平成30年5月16日(水)、気温は真夏日並みの快晴、東京都豊島区の巣鴨地区を廻りました。

    江戸時代この辺りは、江戸町奉行所の支配下に置かれ、広大な大名の下屋敷や武家の住居、薬草園で占められており、中山道沿いの町並として大いに賑わいをみせていました。板橋宿への途中で庚申塚には問屋場や茶屋、種子屋があり、その様子は安藤広重の「江戸名所図会」にも載っている。

     

    今回のコースは国分寺駅9:30集合で、新宿駅―巣鴨駅―徳川慶喜梅屋敷跡―染井吉野の碑―大都映画巣鴨撮影所跡―妙行寺―延命地蔵尊―巣鴨庚申塚―高岩寺((とげぬき地蔵)―巣鴨とげぬき地蔵商店街でショッピング―真性寺(江戸六地蔵)―鮒いち(昼食)―本妙寺―慈眼寺―都営染井霊園を横目に巣鴨駅―国分寺着は17:00前でした。

    先ずスタートは明治30年に徳川慶喜が静岡の謹慎生活から28年ぶりに帰京し移り住んだ、巣鴨邸跡碑を訪ねた。

    中村幹事から“中山道(白山通り)に面して門があり、3000坪の広大な敷地には水戸に因み梅林があり「ケイキさんの梅屋敷」と呼ばれ親しまれた”等の説明があり、続いて染井吉野の碑に廻り・ご存知気象庁の桜開花の「桜」はソメイヨシノで、染井村の植木職人がエドヒガンとオオシマザクラを交配したのがルーツだと云われている。その後吉宗の命で飛鳥山に桜を植樹したとのこと。

    この地域は史跡、お寺が多く、大都映画撮影所跡地に移動、大都は戦前の娯楽映画会社で、いわば大映の前身ともいえる映画会社、伴淳三郎、水島道太郎等が在籍した。慈眼寺は芥川龍之介、谷崎潤一郎の墓、妙行寺には四谷怪談で知られるお岩さんの墓があり、本妙寺は江戸町奉行の遠山景元、囲碁家元の本因坊家、北辰一刀流の千葉周作の墓があり、千葉家の墓では丁度墓参に訪れた7代目子孫の女性としばし有名剣豪の話題に花を咲かせ、それぞれお参りした。

    巣鴨地蔵通り商店街(おばあちゃの原宿)では名物塩大福を買い求め、高岩寺(とげぬき地蔵)では古くからここのお札を飲むと悪いところが治ると信仰されており、お札を購入した。また洗い観音に水をかけ、その水で自分の悪い箇所(観音様の)を洗うと治るといわれ、皆それぞれおもいおもいに水をかけ洗ったようで、ご利益を期待した。神頼み?が通じれば幸い。 

    昼食は小料理の「鮒いち」で・先ずは渇いた喉がお待ちかねで、生ビール、酒で乾杯し、刺身/焼き鳥/サラダ/から揚げに最後は名物釜飯で胃袋を満たした。食後は積み残しの行程を完歩し、帰路に着いた。

    30度に近い高温の中、1万数千歩を歩き疲れたが、良い一日でした。蛇足ながら真性寺は清水会長の母方先祖代々の墓所があり、また地蔵建立の際はそこそこの寄進をしたらしく、台座後ろに名前が刻まれているとの事、ついでに祖父、伯父の墓にお参りした様だ。

     

     

    参加者:
    眞宅康博、野部明敬、清水元、島崎幸男、舘 外博、舘夫人、中山斌雄、中山夫人、浅野道博、
    青木夫人、吉田夫人、幹事:日置憲二郎、中村俊雄

    (幹事 中村、日置記)

     

     

     

  • 町歩きの会「月島―佃島―築地」 2017年11月29日

    平成29年11月28日(火)、国分寺駅に9:30集合、秋の町歩きを行いました。参加者は男性11名、女性5名の総勢16名でした。朝のラッシュアワーがやや緩和された中央線に乗り込み、神田、有楽町で乗り換え、有楽町線月島に10時半過ぎに到着。コースはもんじゃ焼き店70店余の月島もんじゃストリート­―海水館の碑(明治の文人の下宿)―石川島公園―海上の守護神、八角神輿と有栖川宮が書かれた陶製扁額で知られる佃住吉神社―老舗佃煮の名店の佃島―隅田川にかかる佃大橋隅田川テラス―勝鬨橋際の築地天竹(昼食会場)―蘭学事始めの碑(並んで慶応義塾開塾の地碑)―西本願寺の別院、古代インド様式をモチーフに伊東忠太設計の築地本願寺で一旦解散・中締め、有志6名は築地場外市場まで足を伸ばしました。

    コースは高層ビルが林立する町にあっても古い町並みが残る細い路地も通り、月島開運観世音、佃天台地蔵尊、住吉神社、築地本願寺を拝観。それから二葉屋(和菓子店)、肉のたかさご(焼き豚、ローストビーフ)、丸久、天安等の佃煮店にも立ち寄りお土産を買い込みました。

    昼食は築地天竹で特選御膳にアルコールも少々入り、和気藹々の楽しいひと時を過ごすことができました。

    おまけの築地場外市場訪問では、各店閉店前の慌ただしい中、まぐろ・たらこなどの水産物やテリー伊藤の実家・丸武の玉子焼きを購入、最後は星乃珈琲店で疲れを癒し帰路につきました。

    関東近辺の名所、旧跡を訪ね、歴史・文化を学び、その町の美味い食べ物、うまい酒を味わい、併せて、健康維持・増進にと云う会の目的を果たしました。

    当会は日帰りの気楽な会ですので、どなたでも参加していただけます。会員の皆様、ご家族の方々のご参加を心待ちにしております。
                                (中村 俊雄)

  • 第5回町歩きの会「横浜今昔探訪」(2016年11月22日)

    2016年11月22日(火) 貸切バスを仕立てて、27名で横浜を散策しました。
    洒落た西洋館の建つ山手地区、港の見える丘公園、洗練された大人の街・元町、最大規模のチャイナタウン・中華街での飲茶、散策好適の・山下公園、横浜開港資料館及び横浜稲門会のご協力で、西川武臣副館長様の講話、氷川丸見学、昭和2年建造のクラシックホテル・ニューグランドホテルでのティータイムなど、異国情緒、美食、歴史と古きゆかしい横浜を満喫しました。
     
     詳細報告はこちら

     

  • 町歩きの会:新虎通り・その周辺・銀座 (2015年5月11日)

     先ず虎ノ門ヒルズ51階カフェでの眺望を鳥の目で観察、愛宕神社へは出世の階段、女坂、エレベーターと夫々健脚度で登り参拝、工事中のNHK放送博物館を横目に下山。
     徳川家康没後400年、徳川家の菩提寺・増上寺では、1910年ロンドンで開催の日英博覧会出品後贈呈した英国ロイヤルコレクション所蔵二代将軍秀忠霊廟模型(1/10)などの宝物、御霊屋に祀られた6人の徳川家将軍と正室、側室の墓所を見学。
     続いて歩道幅員13mの新虎通りを散策、美々卯のうどんすきと特製冷凍酒を堪能。最後は銀ブラと洒落込み帰路へ。銀座は外国人が2/3とグローバル化が進み、観光日本のシンボル。
     やや駆け足も小野さんの要領を得たガイドで16,00歩の町歩きを満喫した。
                                               (清水 元(記))

    参加者: 浅野道博、安藤康雄、大橋忠弘、小野洋一郎、黒川淳子。小林昭、清水元、眞宅康博、高橋和雄、谷口和典、中村俊雄、中山斌雄夫妻、野部明敬、日置憲二郎、廣田 廣夫妻、谷田貞子、山田孝、吉松峰夫

    散策コース:虎ノ門駅⇒虎ノ門ヒルズ(51階のカフェで休憩)⇒愛宕神社(左の写真)⇒増上寺(中の写真)⇒新虎通り⇒(昼食)新橋「美々卯」(右の写真)⇒銀ブラ⇒有楽町駅