国分寺あれこれ

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江戸時代、国分寺は月の名所だった

大久保狭南は元文2年から文化6年(1736~1809)江戸後期の儒学者で幕臣。後年は狭山丘陵、入間郡山口(所沢市山口)に住んで郷土史を研究したという。  大久保狭南が残している『武蔵八景』に「立野月出」として国分寺の秋を描写している一文があ...
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JR:国分寺駅・西国分寺駅の発車メロディ

この度、3月4日からJR中央線国分寺駅と西国分寺駅の発車メロディが変わりました。 国分寺駅は、国分寺で半生・40年を過ごした作曲家・信時潔の童謡「電車ごっこ」、西国分寺駅は「一番星見つけた」。  武蔵野線西国分寺駅は“国分寺市の歌”が各々採...
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小説の中の「国分寺」

大岡昇平の代表作の一つに「武蔵野夫人」という小説があります。この小説、国分寺とその周辺を舞台に書かれた恋愛小説として有名です。この小説の書かれたのは、昭和20年代で、当時、作者は小金井に住んでいて、国分寺周辺をよく散策していたようで、我々に...
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「国分寺市の野鳥」

国分寺市は、平成26年に市制施行50周年「未来へはばたく年」を記念して国分寺市の鳥として「カワセミ」を制定しました。カワセミは、市内にある都立武蔵国分寺公園の池・姿見の池・日立中央研究所構内の池などで一年中、高い頻度で見ることができます。カ...
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日本の戦闘機がB-29に体当たり。 自宅の裏に墜落

①  B-29への体当たり攻撃 私(島崎幸男)は昭和17年の5月の生まれで、記憶があるのは終戦の昭和20年からです。 昭和20年の春は3歳になる頃で、激しい空襲の記憶です。西町の自宅より西の立川飛行機の工場が赤く燃え上がっている光景を覚えて...
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国分寺建立と我が「武蔵国分寺」について

掲題について遅ればせながら改めておさらいをしてみましょう。 奈良時代、全国67の各地に国分寺・国分尼寺が建立されました。  聖武天皇(在位724749)の頃、天災、飢饉が相次ぎ、天然痘が猛威をふるっていました。その終息、日本の独立性、護国、...
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鎌倉街道と東山道武蔵路

1、東山道について 東山道は「律令時代に皇居が置かれた五畿内と諸国の国府を結ぶ幹線道路」であり、中路とされたのは近江・美濃・信濃・上野・下野・陸奥の各国国府を通る道であった。30里ごとに駅馬10匹を備えた駅家が置かれていた。陸奥国府・多賀城...
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「国分寺市の鳥」とマンホール

「市の鳥」をご存知でしょうか? 国分寺市は、市制施行50周年「未来へはばたく年」を記念して2014年11月3日に市の鳥として「カワセミ」を制定しました。 カワセミは「飛ぶ宝石箱」 といわれる美しい野鳥で、市内では武蔵国分寺公園池・姿見の池な...
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東京の重心・へそは「国分寺市」

北海道富良野市は北海道の丁度中央に位置して「へその町」なんて言われていますが、東京の重心・へそは何処でしょうか。 (財)日本数学検定協会が算出した結果、東京都の島嶼部分を除いた本土が1枚の平らな板だとして、この板を指に載せてたった1か所だけ...
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国分寺駅(停車場)と中央線の歴史

(記)加藤勝三(昭和29年 商学部卒)     明治5年(1872年)新橋~横浜間に鉄道が開通した当時、「駅」を示す日本語が無くて「ステーション」と表現されていた。明治13年頃から「停車場」と言う言葉が用いられるようになる。しかし「駅」は古...