お茶の話あれこれ

先日、朝日新聞の1ページを使い、静岡県、日本茶業中央会、茶業技術センターがお茶と健康に関連するPR記事を掲載していました。
我々国分寺市民にとって興味ある内容は、厚労省の統計で、ガンによる死亡率の低い、人口10万以上の都市の順位で男性は国分寺市が第一位で、以下掛川市、藤枝市、飯田市と続き、女性は一位掛川市、以下藤枝市、うるま市、磐田市でした。国分寺市の女性の順位は不明ですが、何れ上位にあると思います。その秘密はどうやらお茶の摂取量に関係するのではとのこと、また地中海クレタ島ではオリーブオイルやナッツ類の摂取に関係すると言われています。
お茶の効能として、ガン、循環器疾患や脳梗塞での死亡リスクが大きく低下する調査結果がでています。
ここで、まずお茶についての「起源」、「伝播」、「三大嗜好飲料」について紹介いたします。起源は紀元前2737年神農伝説に始まります-神農(シェンナン皇帝)・生水は万病のもとの考えから、「煮立てて飲むべし」という事で、庭で大きな釜を使い、生水を煮立てていたところ、偶然にも数枚の葉が湯に落ち、その結果、その葉から、優雅な香りと素晴らしい味を発見した、これが野生の茶の発見と言われています。
また510年頃インドの達磨大師が面壁九年の修行中5年目に眠気をもよおし、そばの木の葉を噛んだ処、眠気が去り不眠の苦行を成し遂げたという伝説もあります。この葉が茶であったと云われています。
茶の学名はカメリアシネンシスで、中国種とアッサム種で、原産地は中国西南部四川省、雲南省あたりが有力で、アッサム種は比較的新しく、1823年インドで発見されました。具体的な茶の飲用は茶の渋みを取り除く工夫がされ、天日で乾かし、火で炙る等の製法が工夫されて、貯蔵、保存も可能になり、「薬から飲料へ」発展していった訳です。
最初はバラ(散茶)でありましたが、固形茶(保存、運搬に良いから)が作られました。
8世紀末には茶葉の売り買いに課税されるなど、また近隣諸国から中東、北アフリカのモロッコまで伝わり、なかでも茶と馬とを交換する「茶葉交易」は有名であります。釜炒茶は960年宋の時代で、明の時代にはウーロン茶の原形が作られました。
日本には805年最澄が茶の種子を持ち帰り、比叡、近江に植えました。永忠(35年滞唐)が本格的に栽培した最初といわれています。12世紀(鎌倉時代)で栄西が「喫茶養生記」を著し、源実朝に茶を献上し、公家、武家社会に飲まれました。14世紀から徐々に武士、一般に普及して行きました。このように世界的にみて茶の歴史は古く、かれこれ伝説から数えても5,700年、飲用習慣からでは1,800年の歴史があります。
しかし紅茶は17世紀からになります。
紅茶の木や緑茶の木があるわけではない。
「チャ」は椿や山茶花の仲間で、ツバキ属ツバキ科の永年性の常緑樹で、お茶はこの新芽や若葉、および柔らかい茎などを主な原材料とした世界的な飲料であります。茶は製茶法からみて、発酵の程度の違いにより、発酵させないもの、『不発酵茶―緑茶』、発酵させているもの『発酵茶―紅茶』、半分程度発酵させているもの『半発酵茶―烏龍茶』の3つに区分されます。
現在では1986年にISO3720で紅茶の定義は国際的に規定されていますが、緑茶は検討中です。
世界三大嗜好飲料とその普及については紅茶、コーヒー、ココアの三大嗜好飲料はカフェインを含有しているのが共通で、原産国は遡ると、茶が中国、コーヒーはエチオピア、ココアはメキシコになります。
需要はコーヒーが中南米生産されEUで58%,アメリカで30%、ココアは アフリカで 生産され、主として、 オランダ中心にヨーロッパで60%、お茶は 紅茶(70%)、緑茶(30%)に分けなければなりませんが、紅茶はインド、スリランカ、ケニア、インドネシアで生産、ヨーロッパ、中東、アジアで消費、緑茶は中国、日本、台湾で生産、主に中国、日本で飲まれています。これら3品は17世紀にヨーロッパに伝わり、ココアは南米からスペイン経由で、コーヒーはアラビアからトルコを経て、紅茶はオランダ人がヨーロッパへ、イギリス人の手で世界各国に広まりました。