第3回”3つのティーパーティーについて”

本来ティーパーティーといえば、イギリスにおいて、17世紀中頃から東洋の珍品・貴重品であるお茶が普及して行く過程で、有産階級においてティーとティーフーズで親密な会話を楽しむ、社交・親睦の為の「ティーパーティー」として発展し、やがて英国の伝統的な生活文化としてライフスタイルの中に定着した訳です。一般にティーパーティーと言えば「アフタヌーンティー(午後のお茶会」を意味しますが、これはビクトリア時代の1840年頃のことです。
アメリカのティーパーティー運動を知っていますか、今年アメリカでは大統領選挙が行われます、共和党の候補者選びも熱を帯びてきました。現代のティーパーティー運動は、2007年12月に共和党ロン・ポー下院議員が記念集会で初めて使ったもので、反オバマ運動として、また税金の無駄遣いを廃止し、小さな政府を目指す保守的な運動です。2010年の中間選挙では共和党の躍進に大いに寄与し、今以て保守派の政治運動として大きな力をもっており、躍進が急であります。その名から一時T.Bを手紙で送っていたので、ティーバッガーとも呼ばれたようであり、対抗して民主党のリベラル派でコーヒーパーティーを立ち上げたとのこと。
実はこのティーパーティーと云う呼称は、1773年のボストン茶会事件と云う歴史的な言葉を蘇らせたものです。では、アメリカ独立戦争の導火線なったボストンティーパーティーとはどんな事件かご紹介いたしましょう。当時植民地アメリカではイギリス本国の茶の重税に対抗し、オランダから密輸するなどで対応していました。常々英本国の課税政策に対し、「英国製品ボイコット運動」など、不満をつのらせていた折に、英政府の東インド会社の持つ中国茶の過剰在庫分をアメリカ市場で特価処分してもよいとの認可が出されたことに反発し、1773年12月16日にボストン市急進派の市民が、手や顔にランプの煤やペンキをぬり、毛布を肩に巻き、モホークインディアンと間違える扮装で、ボストン港に停泊中のダートマス号、エリーナ号、ビーバー号の積み荷のお茶を海中に投げ込みボストン港を紅茶色に染めたと言われている騒乱事件です。そのお茶は中国産の武夷茶342箱である。その後チャールストン、フィラデルフィア、ニューヨーク、アナポリスなどで同様な騒乱を起こし、これをきっかけで独立運動に拡大し、1775年4月独立戦争に突入、やがて1776年に独立を成し遂げました。
現代のティーパーティーは「税金はたくさんだ(Taxed Enough Already)」・TEA・の意味もあるとか。
共和党の目指すところは保守の復権で、政府の役割をスリムにし、古き良き米国の自由と独立を目指すものです。折しも経済格差に不満を持つ若者を中心にデモが勃発するなど、政府批判が起こっています、今後のティーパーティー運動の動きが注目されます。