「姿見の池」にまつわる「恋ヶ窪」伝説

 鎌倉の源頼朝に仕えた秩父の庄司:畠山重忠は鎌倉街道の恋ヶ窪宿で遊女:夙妻太夫と出会い、深く結ばれる仲となりました。 
重忠が平家追討のため西国へ旅立つ際に、夙妻太夫は重忠の身を案じ、一諸に連れて行って欲しいと頼みましたが、戦いに女性を連れてゆくことが出来ないため、重忠は一人で出征し、残された夙妻太夫は、毎日重忠の身を案じて暮らしていました。夙妻太夫に思いを寄せる男が、この二人の仲を裂こうと「重忠が戦いで討ち死にした」と嘘を告げると、夙妻太夫は悲しみにくれて、姿見の池に入水自殺をしてしまいました。
夙妻太夫の死を憐れんだ村人が手厚く葬り、墓印として松を植えると、その松は夙妻太夫の悲しみのために一葉になっていました。その後、戻った重忠が夙妻太夫の死を知り、供養のために、無量山道成寺を建立して、阿弥陀如来立像を安置しました。
(国分寺市観光協会・国分寺歴史・観光マップより)