「紅茶の日、11月1日」に関わる物語

 1年365日には○○の日と言うのがたくさんあります。皆さんが良く知っている語呂合わせでは、砂糖の日(3/10)、救急の日(9/9)、豆腐の日(10/2)、虫歯予防デイ(6/4)、などがあります。一方その謂れからは、時の記念日(6/10)、防災の日(9/1)などがあります。最近では11月12日は「いい皮膚の日」、11月26日は「いい風呂の日」、11月22日は「いい夫婦の日」等とアイデァ豊富です。

 さて、「紅茶の日」ですが、11月1日になります。これは1983年に日本紅茶協会が定めた記念日で、謂れにはストリーが有ります。
1782年(天明2年)12月、大黒屋 光太夫・伊勢国白子(鈴鹿市)の船頭一行12名は、紀州藩のお米などを積み江戸へ向かう途中で嵐のため回船が漂流。アリューシャン列島(ロシア領アラスカの一部)のアムチトカ島に漂着。そこで暮らす中で光太夫らはロシア語を習得し、4年後(1787年)に女帝エカテリーナⅡ世に帰国の許可を得るためにシベリアを横断。当時のロシアの首都サンクト・ペテルブルクまで過酷な生活・冒険をしました。ありあわせの材料で造った船でカムチャツカ、オホーツク、ヤクーツクを経由して1789年(寛政元年)イルクーツクに到着。道中、カムチャツカでジャン・レセップス(フランス人探検家・スエズ運河を開削したフェルディナン・ド・レセップスの叔父)に会い、後にレセップスが著した旅行記には光太夫についての記述があります。イルクーツクでは日本に興味を抱いていた博物学者キリル・ラクスマンと出会い、キリルを始めとする協力者に恵まれ、1791年(寛政3年)キリルに随行して彼等の尽力によりサンクト・ペテルブルクに到着しました。

 そして当時ロシアの上流社会に普及しつつあったお茶会に招かれる幸運にも恵まれました。とりわけ1791年11月には女帝エカテリーナⅡ世に接見の栄に浴し、茶会にも招かれ初めて外国での正式の茶会で紅茶を飲んだ最初の日本人して、この日が定められました。
 光太夫一行は漂流から約9年半後の1792年(寛政4年)根室へ上陸、紅茶など貴重品を持参し帰国を果たしました。白子出港時は15人でしたが、磯吉、小市と3人の帰国でした。なお小市はこの地で死亡したために、残る2人が江戸へ送られました。

 他に有名な漂流・冒険物語はジョン万次郎がいます。彼は高知県土佐清水市中浜の出身で、1841年に嵐で漂流。伊豆諸島の鳥島で米国捕鯨船に救助されて米国本土に渡り、成長して1852年に故郷に帰国しました。その後幕府に招聘されての大活躍は良く知られている通りです。

 なお大黒屋 光太夫の漂流記・冒険記は桂川甫周の『北槎聞略に資料として残されており、また井上靖は「おろしや国粋夢譚」を著し、緒方拳の主役で映画化されています。

(記)清水 元