俳句同好会(国分寺句会)の9月例会が開催されました
俳句同好会(国分寺句会)の2024年9月例会が通信句会方式で開催されました。
参加者は以下の14名でした。
出席者氏名;安齋篤史(俳号 安西 篤・講師)、赤池秀夫、内田博司、押山うた子、
梶原由紀、佐竹茂市郎、清水 元(星人)、眞宅康博(泉舟)、千原一延(延居)、中村憲一、野部明敬、森尾秀喜(ひでかず)、吉松峰夫(舞九)
以上14名
欠席;舘 外博(爽風)
投句数:3句 兼題:「台風」(傍題を含む)
講師選評 安西 篤(俳句結社「海原 KAIGEN」主宰)
《 》内は講師の添削
【特選】
身に沁むや自酌に余る一人膳 清水 星人
日常吟ながら完成度の高い一句。「身に沁む」という季語が、老いた一人の夕食の膳に沁み通るばかりの淋しさを呼ぶ。「自酌に余る」とは、一人酌む酒を持て余しつつ、秋の夜長をゆっくり時間をかけて味わっている。こういう時間を、無為というのか有為というのか、そのいずれともいえながら、一概に決めつけられない。人生はすべて何かにつながっていて、べつの視角からいえば、人生に起こるすべてのことの一半は、呼び掛けの声であり、何かを気づかせるように仕組まれているのではないか。自酌に余る杯を弄びながら、肺腑に沁みわたる思いに呼ばれている。
【並選】
(一位)
不知火や老い乗り越えて退院す 千原 延居
旧暦七月晦日から八月朔日の真夜中に、九州有明海や八代海に、突然見える光。おそらく漁火がもたらす異常現象だが、いかにも神秘的な光を放つ。退院に当たり、ふと老いの坂を乗り越えてもう一旗の思いとともに帰宅する。もう年齢のことなど忘れて。先のことなど「知らぬ」とばかり。(くれぐれもご無理なきように。)
(二位)
閉園の園児の庭に秋の声 藤木ひろみ
近頃の少子高齢化の進展から、保育園も次第に減少しつつある中、閉園となって園児の声も途絶えた保育園の庭に、秋の声が忍び寄る。それは物寂しい秋の気配。弾けるような園児の声が、どこかから聞こえて来はせぬかと耳を傾ける。中七で切って《閉園の園児の庭や秋の声》としたいがどうか。
(三位)
野分雲早きに歩み急かされて 押山うた子
野分雲は、風に乗って見る見る移動してゆく。その野分雲に急かされるように、私も足を速めてゆくという。まさに野分雲に誘われんばかりの歩の早め方だった。季節の変化に突き動かされた体の反応ともいえるもので、その体感がリアルに伝わってくる。
(四位)
梅もどき枯れて半端のない暑さ 内田 博司
「梅もどき」は、本来「梅擬」「落霜紅」ともいう落葉低木で、秋に赤い実が枝一杯について美しい。今年は、九月に入っても例年にない暑さが続き、暑熱に耐えかねて枯れてしまったという。「半端のない暑さ」とは、最近の若者言葉に乗った表現で、その乗り具合も今風の軽みをともなって合っている。
(五位)
野分起つ町に二本の摩天楼 吉松 舞九
野分は、台風ほどではないが、草木を吹き分ける程の強風を指す。「起つ」でも意味は通るが、歳時記では「野分立つ」と書くのが常識。その野分の中に、遠望できる二本の摩天楼があるという。掲句は、我が国の地方都市の風景のように見えるので、野分の季語から推すと、摩天楼はオーバーではないか。せいぜい《二本の高殿あり》と大和言葉で書き留めたい。
(六位)
秋澄むや水盤に葉の映り込む 梶原 由紀
秋の大気の澄みゆくにつれ、活け花の水盤に入れた水にその葉が映り、あたかも大気にも澄みまさるかのように水盤の水に映し出してゆく。作者の澄みゆく心境が、映し出されるかのようだ。
以上
講師(安西 篤)詠 3句
雷鳴の台風予告素手で受け
銀河乳色衛星一匹流離いぬ
野分晴戦火の地にもひと時を
8月句会 高点句
(同点の場合は番号順)
最高得点句・九点
秋澄むや水盤に葉の映り込む 梶原 由紀
その他の高点句・八点
身に沁むや自酌に余る一人膳 清水 星人
その他の高点句・六点~四点
手の平の蝉鳴き止みて果てるかな 藤木ひろみ
ようように慣れし補聴器秋の声 吉松 舞九
車座で食む巻き寿司や天高し 梶原 由紀
野分雲早きに歩み急かされて 押山うた子
登校の児等小走りに野分晴 清水 星人
よさこいや老女の鳴子サンバ調 森尾ひでかず
怒号飛ぶ工事現場や秋暑し 中村 憲一
以上
10月以降の予定
10月句会も講師・安西先生のご都合により引き続き通信句会となります。
投句締切:10月10日(木) 投句数:3句(幹事まで)
兼題「秋麗(あきうらら)」(「秋日和」「秋高し」などの関連季語も可)
以上